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2007テニス界20大ニュース その十七
フェデラーATP No1在位記録更新

2007年2月の最終週、フェデラーがATPエントリーランキングNO1連続161週を記録してコナーズの160週を突破、世界最長記録を更新した。No2のナダルとのポイントがあまりにもかけ離れているので、フェデラーが今年の全豪に優勝する以前にその記録達成はほぼ確実になっていた。3年以上NO1を続けたことになる。しかもエントリーランキングではNo2に追い上げられ肉薄されることなど一度もなく、圧倒的強者として君臨しつづけた。彼がNo1になったのは2004年の2月2日である。前年2003年にウィンブルドンに優勝し、その翌年2004年の全豪で優勝してNo1に駆け上がった。それから今日までNo1でありつづけている。

如空がテニスを見始めた1999年初頭はまだサンプラスがNo1だった。それが劇的な復活劇による4大大会4連続決勝進出(内3つを取る)でアガシがNo1になり、二人の二強時代に一瞬戻った。だがそれは一瞬だった。その後は戦国時代だった。毎年4大大会の優勝者が4大会とも違う期間が続いた。エントリーランキングNo1もサフィン・クエルテン・ヒューイット・フェレーロ・ロディックなどが奪い合う時期だった。フェデラーがNo1になった2004年当初もその中の一人、「NO1経験者の中の一人」といった感じだった。NO1になった直後の全仏で見事に第一週で姿を消し、決してその存在感が他のNO1比べて大きかったわけではない。彼が「今までのNo1とは違う」と世間に知らしめたのは2004年のウィンブルドン連覇によるという意見もある、だがこのブログでは何度も語っているが、如空はやはりフェデラーが圧倒的強者としてATPに君臨したのは2004年全米決勝でヒューイットを圧倒して優勝したあの瞬間であるかのように思う。この数年のヒューイットしか見ていない人にはあまりピンと来ないかも知れないが、2001年2002年と連続で年間最終ランキングNo1になった頃のヒューイットを知っている人ならば、そのヒューイットが決勝であんな一方的な内容で負かされるなんて予想だにしていなかったことだろう。そしてリトルスラム(年間GS3勝)は、フェデラーが場所にも時間にも拘束されることなく、常に最強の存在でいることを指し示していた。そしてフェデラーは未だその圧倒的強者でありつづけている。エントリーランキングNo1経験者にしてGSタイトルホルダーを「王者」と呼ぶなら、それと同列の称号はフェデラーの存在を称するには役不足である。それゆえに「王」を従えて君臨するものとして「皇帝」と呼ぶのがふさわしい。そう思って、如空はフェデラーを勝手に「皇帝」と呼んでいる。

2007年はマスターズシリーズで苦しんだが、その強さは更なる進化を遂げている。フェデラーのテニスはどこまで進化するのか、皇帝の覇権はいつまで続くのか。テニス観戦を趣味とする如空としては、もう少し他の選手がフェデラーに肉薄してくれないとつまらないと思うのだが、それは他の選手の側に原因があるのであり、フェデラーに責任があるわけではない。フェデラーのテニスをリアルタイムで見られる、その同時代に生まれたことを感謝しながら、皇帝の覇業をたたえつつも、今後の更なるATPの充実を期待しよう。




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