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2007テニス界20大ニュース その五
ナダル、クレーコート81連勝 止めたのはフェデラー

3年近く、ナダルは赤土の上で常勝無敗だった。つまりその間、ナダルは出場した全てのクレーコートの大会で優勝したことになる。ナダルのクレーコート連勝記録のスタートはどの時点だっただろう。おそらくは2005年春先の南米クレーコートシーズンからだと記憶しているのだが、正確なところは良くわからない。2005年南米クレーコートシーズンで、アルゼンチンのガウディオと共にクレーコートの勝ち星をいくつも挙げたナダルはその勢いのまま、2005年ヨーロッパ・クレーシーズンになだれ込込んだ。そして当時クレー最強と言われたコリアにMSモンテカルロ決勝、MSローマ決勝と続けて当たり、連破した。特に2005年ローマ大会決勝はフルセット5時間の大激戦だった。この試合以後、コリアは失速してゆき、代りにナダルの勢いは増した。それを決定付けたのが2005年全仏オープンだった。生涯グランドスラムを狙い全仏に乗り込んできた準決勝でフェデラーを撃破、そして決勝戦も快勝し、彼は赤土の覇者となった。

2006年は南米クレーコートシーズンには力をいれずに、ハードコートの試合に注力した。だが彼の舞台はやはり赤土の上だった。ヨーロッパ・クレーシーズンが始まり、ATPに君臨する皇帝フェデラーは、クレーをも支配するべく、赤土の上の城塞ナダルに何度も挑むが、その挑戦をことごとくナダルは退けた。特に2006年のMSローマ決勝でのフェデラー対ナダルの決勝は前年の対コリア戦に匹敵する激戦であった。驚愕の打撃戦の末、打ち勝ったのはナダル。この試合の敗北はさすがにフェデラーの自信を大きく揺るがすことになった。全仏を連覇し、クレーでは常勝無敗で終えたナダルの2006年であったが、2006年後半のハードコートではやや失速し、最終戦マスターズカップでもフェデラーにストレート敗れてしまう。

今年2007.年、全豪QFまで行きながらもゴンザレスに敗北、まだ調子に乗れない。不動のNo2でありながら2006年全仏より優勝がないのだ。クレーシーズンまで優勝はないかと思われた。だがカナスによる連敗でフェデラー不在となったMSインディアンウェルズ大会で見事に優勝、これでナダルは波に乗った。MSマイアミ大会ではジョコビッチに不覚を取ったが、それでもヨーロッパ・クレーシーズンが開幕すると、彼のクレー初戦となるMSモンテカルロ大会で優勝した。決勝でまたしてもフェデラーを破っての優勝である。続くMSローマではフェデラーが途中でポランドリーに敗退、決勝で当たったのはゴンザレスだったが、見事にこれを撃破した。ちなみにこのローマ大会のSF対ダビデンコ戦は大接戦となり、今年のクレーの試合ではベストマッチといる名勝負を演じて見せた。MSローマ大会に優勝した時点でクレー77連勝、既にATPツアーのクレー連勝記録を塗り替え、さらに更新中である。全仏もモンテカルロもローマも取り、クレーを完全制覇しているかに見えるが、そのナダルが手にしていないマスターズシリーズのクレーコート大会がある。ローマの直後、全仏の直前にあるドイツのMSハンブルグ大会であった。奇しくもそのハンブルグ大会こそは、クレーの上でもナダルの最大のライバルであるフェデラーが何度もタイトルを手にしている大会であった。ナダルはクレー完全制覇を目論み、ライン川を越えてゲルマニア(ドイツ)に乗り込んだ。

エントリーランキングNo1とNo2が同じ大会にエントリーすれば、当然シードNo1・No2となり、トーナメントでの対決は決勝でしかありえない。クレーコート連勝記録を81連勝まで伸ばしたナダルは、赤土に残る最後の砦ハンブルグを死守するべく、立ちふさがる皇帝フェデラーと、決勝戦で何度目かの対決を行なった。

そしてついにナダルは敗れた。

湿気が多く、その性質が他のクレーコートに比べてハードに近いと言われるハンブルグのコートでは、クレーにおけるナダルの優位はあまり発揮されなかった。一方で、終始攻めの姿勢を崩さずに、ナダルのディフェンスを果敢な攻めで断ち切ったフェデラーは見事であった

ナダルのクレー連勝記録は結果として81連勝で止まった。だが、その記録の偉大には賞賛を惜しまない。




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