2006テニス界10大ニュース その六
バクダティスの台頭
キプロスは地中海の西端トルコ沖に浮かぶ四国の半分くらいの大きさの島である。ギリシア系とトルコ系の住民による争いにより朝鮮半島やかつてのドイツのような分断国家となっている。キプロス問題はヨーロッパでは大きな問題だが、極東の日本では朝鮮問題ほど感心はもたれていない。存在そのものもどれほどの人が知っていることか。そんな小さな島国から彼はやって来た。そして英雄になった
マルコ・バクダティス。ほんの三年前に大阪のスパージュニアと呼ばれる大会で優勝した。そのときの彼のプレーを如空は見たが、そのときはたいした選手に思えなかった。二年後にグランドスラムのファイナリストにまで駆け上がるほどの選手だとは、そのとき思いもよらなかった。キプロス出身といってもテニスを本格的に修行したのはフランスである。だから彼のプレーにフランスのグロージャンやガスケといったプレーヤーのと同じ匂いがするのは偶然ではない。グロージャンやガスケなどフランス・テニスが持つ特有の「におい」、それは「明朗なる曲者」である。
足が速いが背が低い。そしてその小さな体から繰り出さされるショットはまさに変幻自在、スイングにいわゆる基本的な「型」がない。自分の打点で打てるときはオーソドックスなフォームで打つがコートを走り回って打つショットには一定の「型」がない。様々な回転、多彩なタッチであらゆる位置・あらゆる体勢・あらゆる姿勢から、想像もつかないショットを打ってくる。スイングとその型はショットを打つための手段であり、目的ではない。自分の打ちたいところに打てれば「型」などどうでも良いのだ、という明快な思想の元に、多彩なテニスを展開してくる。そしてコート中で様々なアイデアを創造して実現する。そんな「曲者」に特有の「陰湿さ」がないところが彼らの共通点だ。明るい。明朗だ。彼らのテニスを見ているとプレーしている本人も観客もみんな明るくなる。いらいらいしているのは対戦者のみである。バクダティスもそんなフランスのテニスで今年、一気に頂点の一歩手前まで迫った。
まるでジプシーのような風貌で、ひげ面の爺くさい顔をしているくせに、つれている彼女は誰もが振り返るほどの美人だという、背の低いキプロスの少年はいきなりロディックを破って注目をあびると、勢いに乗ってリュビッチ・ナルバンディアンも撃破、フェデラーの待つ決勝にまで一気に勝ち上がってきてしまった。彼の活躍にギリシャ系の人たちが熱狂的に応援する。まるでサッカーのワールドカップみたいだ。バクダティスも彼らの応援をさらに盛り上げて、自分の気持ちも盛り上げて、観客と共に大きな波となって対戦者を飲み込んだ。その変幻自在のテニスはラウンドを重ねるごとに磨かれていった。
決勝の対フェデラー戦も第一・第二セットは接戦、フェデラーはかなり苦しまされた。だが第三セットでペースをつかむといつものように押し切り、バクダティスの快進撃を止めて見せた。
バクダティスはここで終わるような一発屋ではなかった。半年後のウィンブルドンではヒューイットを破ってSFに進出してナダルとぶつかった。今年前半のグランドスラム決勝でフェデラーと対戦した二人がフェデラーとの挑戦権をかけて全英SFを戦う。ドラマとしては大いに盛り上がる場面である。しかし、内容は期待に反してストレートで押し切った、芝を苦手としていると言われているほうが。ナダルが勝ったのである。明るい曲者も自在のテニスも目覚め始めたナダルの芝のでのテニスに押し切られた。
全豪決勝でフェデラー、全英準決勝でナダルとその大会のキーパーソンと当たるバクダティスは全米でもキーパーソンと当たる。まさに彼の引退セレモニーとなった全米オープンの二回戦でその彼と当たったのだった。生きている伝説と呼ばれた彼、アンドレ・アガシその人とフルセットマッチの死闘を演じる。アガシに2セット取られたところから2セットを奪い返すバクダティス。満場の観客がアガシ応援の中、一人自分を鼓舞して、時に雄たけびを上げながら戦うバクダティスはTVの中ではまさに英雄に見えた。途中足を痙攣させながらもあきらめず、ファイナルセット5-5まで喰らいつくバクダティス。最後にブレークを許してアガシに勝利を譲るが、見事な名勝負であった。そして彼もまたアガシから何らかの成長の糧を受け取ったのだろう。その後の中国の大会でツアー初優勝を遂げた。
今年はNo3以降が大混戦であったため、僅差でツアー最終戦マスターズカップの出場権となるエリート8に食い込むことができなかった。だが彼が今年のルーキーNo1、その飛躍度では文句なしに筆頭であり、去年のナダルに迫る大活躍であった。
来年こそは打倒フェデラーを為しうる刺客として、ナダル以外にフェデラーを止めうるもう一つの存在にまでなって欲しいものである。それだけのものを持っていると今年一年で十分証明できたのではないだろうか。