青が散る テニス名場面集 その二
「優れたテニスをよく見ることが上達の秘訣だと技術指導の本で読んではいたが、手本となるプレーヤー身近に得て、燎平にはその意味がよく判った。」
燎平と同じ大学の同学年に関西ジュニアチャンピオンの安斎克己がいた。心に病を持ち、大学ではもうテニスをしないという。しかし金子の「狂わば、狂え」の一言に突き動かされ、再びコートに立つ決心をする。オーソドックスな一流プレーヤーが身近で練習することで、コーチのいない燎平たちは「ラケットとはあのように振るものなのか」と思い知らされる。身近にいいお手本プレーヤーがいることは大変幸運なことである。
「5-2と差を開けられるか、4-3と縮めるかは、このセットの勝負の分かれめで、第7ゲームはいつの場面でも大事な分岐点だった」
4-2あるいは4-1の場面。リードしている側が後2ゲームとれば勝利となった所がセットの山となる。リードしている方は勝利が見え、負けている方は開き直る、大きく差がついたかのように見え実は1ブレーク差でしかないというこの状況は、両者とも意識の変化が起こりやすく、メンタルが試される場面になる。ここでしっかり2ゲームとって勝ちきるか、追い上げを許すか、上手さでなく強さが要求されるのだ。
「技量ははるかに安斎が優っていたが、勝とうとする執念とか工夫とかでは貝谷が上回っているのである。」
「青が散る」のテニスシーン前半のクライマックスは二年の夏合宿での練習試合、安斎Vs貝谷戦である。
第一セット、ラリーからすばやくネットに出てポイントを重ねる安斎が先行する。それに対して、貝谷はサイドをわざと開けてネットに出る作戦に出て、立て続けにポイントを取り返す。かと思えば今度はセンターセオリーで攻め、安斎をかく乱しようと工夫を重ねる貝谷。しかし、第一セットは自力に優る安斎が逃げ切る。大方の予想に反して競った内容の6-4という結果に燎平は「メンタルと工夫」で貝谷が安斎より上回っていると気づく。
「一流になどなれるはずはないのだから、最初から二流の上を目指して、そのようなテニスを作り上げるのだと言ったときにの貝谷の、人を小馬鹿にした目つきを思い出した。幼いときから、一流を目指して、テニスの英才教育を受けてきた安斎とは対照的に、貝谷は誰に教わったとも言えない奇妙な傍流のテニスを身につけて互角にわたりあっているのである。」
第二セット、安斎をネットに出すと勝機がないことを悟った貝谷は中ロブ気味のトップスピンを深く打ち込み、安斎をベースラインに釘付けにする。逆に自らはチャンスを待ってネットにつき、ポイントを重ね、ついに6-4で第二セットを取り返す。安斎はブランク明けで本調子でない。そういう意味では安斎はこの時点で「一流の下」と言えるかも知れず、貝谷が「二流の上」のテニスで追い上げているのである。
「5-4と貝谷がリードしたとき、燎平はこれで決まったと思った。力量から言えば、安斎あっさり逆転する可能性は充分に残っていたが、なりふり構わぬ貝谷の執念は、最後の一ゲームをどうやってでも奪い取るために、理論や方式や力の差をがむしゃらに押しのけてしまいそうに思われたのだった。」
セットオールで迎えた第3セット、試合は神経戦になった。安全を期して両者ともネットに出て攻めることが少なくなった。両者サービスキープで迎えた第九ゲーム、貝谷はつまらないミスをしてキレてしまい、ラケットを叩きつけ叫ぶ。しかし、そこから人が変わったように貝谷はストロークをハードヒットしネットに出て安斎を圧倒し、ブレークに成功した。神経戦は傍から見て両者の心理が手に取るように分かるものだ。燎平は貝谷がブレークした時点で勝利を予感した。技量だけでなくなくメンタルが勝敗を分けることを悟ったのだ。安斎は最後のゲーム、4本立て続けにミスをして、自ら敗北した。自分の力量を上回る安斎を破った貝谷の勝利は、燎平に大きな影響を与えることになる。
「金子もポンクも、安斎が貝谷に敗れたことが癪に障るらしく、憮然とした面持ちでときおり顔を見合していた。」
テニスのシングルスというのは勝敗が結果としてはっきり出る。それゆえにコートの外での人間関係にも微妙な力関係と影響を与える。自分より強いと思っているものが自分より弱いと思っているものに敗れたとき、自分が尊敬している人物が嫌っている者に敗れたとき、第三者であるはずの自分も複雑な気持ちになる。こんなシーンはシングルスをするサークル内ではよく見られる風景だ。
「『テニスに限らず、スポーツの試合の最中に、突然かかってしまう病気がある。それは臆病という病気や。これにかかるか、かからへんかが勝負の分かれ目や。この臆病風に吹かれると、途端にボールがラケットとケンカをはじめるんやなぁ。』」
燎平たちは3回生になり、テニス部はリーグ昇格を果たす。リーグ戦に優勝し、上位リーグとの入れ替え戦にも勝利した。勝利に貢献したのは金子・安斎・貝谷と2回生のポンク、燎平は金子の言う「臆病風」に吹かれて自分のテニスが出来なくなっており、スランプ状態に入っていた。「試合とはこの臆病との戦いやで」と燎平を励ます金子。しかし、一度ネガティブな発想のスパイラルに落ち込んでしまうと、なかなか抜けられないもの。燎平も約半年、この臆病風と戦うことになる。試合中突然ボールが入らなくなるのではという不安が生じ、手足が縮こまり、実際にボールが入らなくなる「臆病風」、誰もが一度はこの「臆病風」と対決することになる。
「『ずっとハードトレーニングが続いたから、体がくたびれているんや。しばらく休んだらまた元気になるよ。なあ、安斎、お前はなぁ、俺らと違って、歴戦の勇士なんやぞぉ。数えきれんくらいの試合に出て、並みいる強豪に勝ってきたんや。何回も、何回も、断崖絶壁を越えてきたんや。気が狂ったりしてたまるか!』」
全日本庭球学生選手権、通称インカレに安斎は出場を決める。一回戦を余裕で突破し、二回戦の試合が始まろうとしたところで、彼の心の病が再発、試合を棄権してしまう。その安斎を貝谷が必死に声をかけて、慰め、元気つけようとしている。仲間であると同時に尊敬する偉大なプレーヤーでもある安斎。そんな安斎を普段はニヒルで皮肉屋の貝谷が必死になって助けようとしている。若い時期、同じ時間を過した仲間の絆は何にも変えがたい。
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