ススキの穂を見て思うこと (2008/12/28)
ススキで有名な奈良の曽爾高原に 近くに、ハードコート3面を備えたオートキャンプ場とコテージが一体となった施設がある。テニスを始めた頃、テニスサークルの仲間たちと秋口にそこに合宿 に行っていた。大型のコテージは二戸で1コテージになっている。屋根裏部屋が寝室になっていて、一階にキッチンとダイニングがあり、自炊できるようになっている。大きなテラスがあり、そこには炭火グリルがあり、そこでバーベキューができる。稼動壁を収納すればテラスは二戸でつなげることができ、ダイニング も扉でつながっている。だから二戸としても一戸としてもこのコテージは使えるわけだ。男女混成のサークルにはちょうど良くて、半分を男子、半分を女子にして二階の寝室は別、一階のダイニングとテラスは共用という形にして使う。
朝、テニスの他に釣りの好きな幹事に付き合って、夜が明けぬ内から合宿所近くの山に入りアマゴを釣る。何で合宿の当日に釣りをしなくてはならないのかと問 うと「もうすぐ禁漁期間になってアマゴが釣れなくなるから。今が大事なんだ。」とテニスとはまったくかけ離れた、わけのわからない理由で釣りに繰り出す。 幹事を拗ねさせるとまずいからということで釣りの経験のある男子数名が、本隊とは別に別働隊となって川に釣りに行く。フライフィッシングやルアーフィッシ ングなどが全盛の今時に、餌を使って黙々とアマゴを釣る。ヤマメと共に渓流の女王と呼ばれるアマゴは 美しい。クリーム色の魚体に大きな楕円の灰色の斑点が美しく並ぶ。東日本型のヤマメと違って朱色の小さい斑点が側面にある。渓流に生息する魚だが、川の最 上流部にいるイワナと棲み分けをして少し下流にいるので、それほど奥深い山奥に入らなくてもポイントに行ける。大きな岩がゴロゴロ転がるその隙間から緑色 の水が轟々と流れてくる、その川に竿を入れる。イクラを餌にして午前中いっぱい釣る。釣っても小さい魚は川に返す。20cm位の大型のものだけ腸をさばいてクーラーに入れて持ち帰る。日が高くなると、竿を納めて車で町まで出る。
郊外型の大型ショッピングセンターで女性陣と「朝早起きして釣りなどしたくない」という男性陣とで構成される本隊と合流。食品売り場で夕食の食材を買出しをし、荷物を一杯積み込んだ自動車キャラバンがキャンプ場へと向かう。
合宿所に付くと着替えて、後は延々テニス。とにかくテニス。一面で練習、一面で試合、ダブルスもシングルスもする。日が暮れて、疲れ果てて、昼の部は終 了。元気のあるやつは夕食後にナイターもやる。鬼の合宿である。昼の練習が終わった後、風呂に入ってからバーベキューの用意をする。男共が火をおこし、肉 と野菜をぶつ切りにして、焼く。ひたすら焼く。午前中に別働隊が調達してきたアマゴも塩でシメて遠火で焼く。女性陣が準備したお酒や前菜と一緒に食う、飲む、焼くを繰り返す。山の暗闇の中に騒々しい声が響き渡る。
夕食後もテニス、翌日もテニス、テニスして風呂に入って、そして家路につく。せっかく曽爾高原の近くに来ているのに、ススキの原を見ることなく、テニスだけして帰っていく。熱血系テニスサークルの正しい姿である。
その合宿ももう過去の話になった。みんな結婚して、子供が出来て、仕事と家族サービスに時間を取られ、テニスをする時間すら取れなくなり始め、まして合宿 など行けなくなり、自然消滅していった。特に結婚した女性はなかなか家を出辛いようだ。ポーチに出るタイミングは絶妙なくせに、いつ旦那に合宿のことを伝 えるか、言い出すタイミングを取るのは難しいと奥様達は言う。
奥様たちは大変だ。
「この前なぁ、忘年会で遅くなってなあ、遅くなること伝えてあって、旦那に先に寝とき、といってあったんで、当然のごとく家に鍵がかかってあって、合鍵で入ろうとしたらなぁ、チェーンがかけてあってん!!!」
「いやぁぁぁぁぁ(女性陣一同)」
「習慣でかけてしまっただけだろう(男性陣一同)」
「違う!違うねん!絶対わざとやわ!いけずやわぁぁぁぁ」
などと飲み会に行くだけでも大騒ぎである。
男性は結婚しただけでは生活は変らないが、子供が出来ると、コートに出てこなくなる。カミさんが子供の面倒を見ているのに、自分だけ遊びに出ることが出来づらくなっていく奴が多く、せっかく上達したのに、途中でテニスから遠ざかる男性が多い。
これでは合宿どころではなくなり、自然消滅に至る。
先日、曽爾高原の近くの室生寺を見学に行き、そのついでに曽爾高原のススキの原を見てきた。一面ススキで覆われた高原は美しい。秋の高い澄み切った空にス スキの白い穂が映える。夕日を浴びた姿は特に美しいらしく、その瞬間を撮影しようとアマチュアカメラマンが高価な機材をセットして日没を待ち構えている。 夕日まで見ていたかったが、時間の関係ですぐに高原を後にした。
ススキを見ながら合宿のことを思い出していた。テニスはへたくそだったが、朝から晩までテニスのことを考えていた。テニスに飢えていた。同じように、テニ スに夢中になっていた。今、相変わらず、テニスも好きだが、仕事以外の時間の全てをテニスに費やすだけの余裕がなくなってきた。時間だけでなく精神的エネ ルギーの面でも。色々と考えなくてはならないことが多い。一つのことに夢中になれるような時間が減ってきた。
思い起こせば子供の時、釣りを始めた頃、水を見れば魚がいるものと考え、どう釣るかと考えていたものだ。両親が遠い親戚の家に法事をかねて遊びに行く、そんな時も近くに海があるとわかれば釣り道具一式を抱えて、法事に行き、親によく怒られた。釣りをしていない時は釣り道具をいじって時間を潰し、つり仲間と は会えば次に行く釣りの話ばかりをしていた。一生自分は釣りを最優先事項にして生きていくのだと、子供心にそう誓っていた。だが、ある日突然釣りをしなく なった。なにか特別なきっかけがあったわけではない。部活や勉強やその他の友人との付き合いが忙しくなって、自然としなくなっていった。
大学に入って建築の設計を志してからも同じようだった。朝から晩まで建築の設計演習の課題をこなす事に使える時間の全てを費やしていた。「よく勉強するねえ」と感心されることが多々あったが、本人たちは「お勉強」だとは思っていない。好きだからやっているのである。面白いからやっているのである。「建築の 設計は魂を取られる」といわれるが、それほどに面白く、そしてのめり込んでいく。またそういうタイプの人間でなければ設計稼業は務まらないのである。卒業 して設計事務所に就職しても、その建築への熱意は衰えるどころか、ますます熱くなっていった。だがそれも30歳を越える頃から、さすがにモチベーションが それまでのように、常に高い状態でいるわけではなくなっていった。仕事に飽きたわけではではない。もう一つ、「魂を取られる」ほどに夢中になってしまったものが出来たからだ。それがテニスだった。
そのテニスもまた、一時期ほどに夢中ではなくなって来ている。試合もなかなか勝てない日々が続いている。それでもテニスを離れるところまでには至らない。 むしろ、テニスに占める時間が少なくなっている分、その重みは増しているような気もする。これからもマイペースで続けていこう。曽爾高原のススキを思い起 こしながら、しばし感傷に浸りながらも、そう思った。