舞い戻る記憶(2007/09/27)
GAORAとWOWOWを視聴するためにCATVに加入したのは二年前。テニス中継を見るためだった。CATVに加入して驚いた。チャンネルがなんと多種多様なことか。テニスだけでなく、色々な番組を見るようになった。地上波などほとんど見なくなった。如空が加入しているCATVには音楽専用チャンネルが3チャンネルあって朝から晩までビデオクリップを流している。如空のお気に入りはJPOPの50位までを歌詞付きで放送している番組で、二週間に一度、録画してテニスを見ているとき以外はその番組を再生してだらだらと音楽を流している。おかげで最近ではたまに若い連中とカラオケに行っても「この曲何?」「これ誰の歌?」「それ誰?」とオヤジチックな反応をしなくてすむようになった。
CD売上ランキングのトップ50となると新曲ばかりかと思うがそうではない、古い曲でも結構入っているし、山下達郎の「クリスマスイブ」などは毎年年末になると夏のお化けのように復活してくる。去年の春先に、「お、これは」と思った曲がある。発売日にラジオから偶然流れてきたのを耳にした。その旋律が耳から離れなかった。言葉が胸に残った。一年経って、その曲が再びトップ50に入ってきている。山下達郎の「クリスマスイブ」のようにこの曲もそのシーズンがくれば思い出されるようになるのだろか。桜舞い散る季節になると毎年思い出されるように。その曲とはケツメイシの「さくら」である。曲も素晴らしいが、詩も良い。実に奥深い。30男の心のひだに触れる言葉がその中にある。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
建築の設計者としての如空のキャリアの中で最大規模の建物が今、その姿を徐々にあらわしつつある。その建物が立地しているのは偶然にも如空の生まれ育った街である。高校時代はこの街から大阪市内の母校に通っていた。今、まったく逆の方向で現場に毎日通っている。大学に進学したとき、地方の大学に入学することになり、そのときにこの街を出た。それからこの街には戻ってきていない。あれから18年近く経つ。なのにこの街は何も変わらない。如空の記憶の中にある18年前の街の姿がそのまま保存されている。如空はこの街が好きではなかった。いつか出て行ってやる、とそうずっと思っていた。そして希望の通り出て行くことができた。その間、街はなにも変わらない、何も。バブル狂乱のあの時代を経ても斜陽の街大阪のその衛星都市では資本の投下などあるわけもなく、東京も地方も、日本中が変わっていったのに、この街だけは変わらなかった。変わることがよいことだとは限らないし、変わらないことが悪いことだとも限らない。しかし、いたるところで街の風景を変える仕事をしていると、18年もの間、ほとんど変化しないこの街が驚異に思えてくる。この街の風景に触れる度に、そして幼い頃からの知り合いに偶然に顔を会わせる度に、心の奥底に眠っている様々な記憶が甦る。そして気づく。あの頃、この街をきらっていたのは、この街に原因があるのではなく、自分自身を嫌っていたのだと。子供の頃、うまくいかない様々なことを、全て周囲のせいにして自分に問題があることを認めようとしなかったのだ。責任転換していたのだ。遠くの知らない街に行き、自分のことを知っている人間が一人もいない環境で、人間関係も生活環境も日常の過ごし方も何もかも、まったく新しくなり、完全にリセットされた状態で、まったく未知の状況で、新しい生活の中で、ようやく気づく、そこにいるのはまったく変わらない自分自身だということに。環境を変えても自分は変わらない。人間の資質を決めるのは環境ではなく、もって生まれた性格なのだ。環境はそれに反応を起こして性格に変化をもたらすかも知れないが、本質を変えはしない。自分自身が変わろうとしない限り、何も変わらない、周囲は何も変えてくれない。過去と他人は変えられない、変えることのできるのは自分自身と未来だけだ。
そんなあたりまえのことに気づくのに何年もかかった。生まれ育ったこの街で仕事をするようになっていろいろな記憶が呼び起こされて、そのことにようやく気が付いた。この街もようやく変わる。如空のチームが設計を手がけたこの巨大な施設が街を変えるだろう。果たして如空は変わったのだろうか。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
サラリーマンにとって春は人事異動の季節である。3月には送別会が、4月には歓迎会がいたるところで開かれ年末年始と同じくらい、飲み会の誘いが多くなる。高校時代の友人が一人、転勤で地方より大阪に戻って来ることになった。仲の良かった友人8名ほどで彼の帰阪を祝う会をした。彼の結婚式以来会っていない仲間たちである。8年ぶりに見る顔であった。老けたやつもいれば変わらぬやつもいる。子供が3人もいて上は小学生になっている男もいれば「来年出産する計画で今結婚相手を探しているの」という女もいる。しかし、性格だけは変わらない。昔話に花が咲く。寿司屋の二階の座敷で閉店まで騒いだ。「みんな出世したのう。20台の頃は懐具合が気になって寿司屋に足を踏み入れることすらできなかったのに。」と一人が言う。大学時代の友人達は皆同じ業界に就職したので、久しぶりに会っても仕事の話になってしまう。その点、高校時代の友人達は、共通の話題が高校時代を過ごした3年間の記憶しかないので、自然と昔話に話題は落ち着いていく。それぞれが覚えていることを断片的に語り、それが忘れていた記憶を呼び戻す。自意識過剰だったあの頃、今思い起こせば恥ずかしい話ばかりだが、それを笑って話せるところに「大人になったのだなあ」としみじみ感じさせられる。そして「俺の青春もまんざら悪いものではなかったのだなあ」と思わせてくれる。思い出は美化されていくものだ。若い頃、飲み屋で美化された思い出を酔っぱらって語っている大人たちを「醜い」と感じていたが、今では完全にその醜い大人になってしまった。それはしかし、必要にして大事な糧なのだ、大人にとって。それは若い頃には気づかない。今ようやく理解できることなのであろう。
「花見だ、花見!来週皆でサクラ見に行くぞお!」「おおおう!」
はたされるはずのない約束を大声で交わしながら、それぞれに待つ家族のもとに帰っていく。古い記憶を呼び起こしてくれる友がいる。とても幸せなことだ。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
高校3年の時のクラスメートと会うと必ず上る話題が二つある。一つは3年の時のクラス担任だった先生の話。彼はなんと如空たちと同学年の女子と卒業後に結婚してしまった。これはもう格好の酒の肴である。もう一つが高校3年の体育祭の「四段やぐら」の話題である。実はこの「四段やぐら」はつい最近、あるドラマを見て強烈な印象と共に記憶が甦ってきた。そのドラマとは「ウォーターボーイズ」である。この「ウォーターボーイズ」、まずレンタルDVDで映画版を見た。映画はそれほど面白くなかった。その事を同じ職場のドラマおたくにして映画おたくのCADオペさんに言うと「TVドラマの方が絶対に面白いから、必ず見て!」と強く勧めるので今度はTVドラマ版のDVDをレンタルして見た。
そして泣いたのである。
「ウォーターボーイズ」は高校の文化祭で水泳部が出し物として「男のシンクロナイズ・スイミング」を学校のプールで上演する、その文化祭までの過程を描いたドラマである。映画はその発端となった話で、TVドラマはその3年後を描いている。ストーリーはいたってベタである。「男のシンクロ」を実現させようと次から次へと降りかかる難題を克服していく話である。でも泣けてしまう。音楽も効果的だったし、高校生役の役者たちも素晴らしかった。このドラマは今時の高校生を主人公にしているにもかかわらず携帯電話が出てこない。舞台も東京ではなく、田園風景と山並みが迫るのどかな田舎の街である。主人公達は田んぼのど真ん中にある高校まで自転車で田んぼの中の道を通って通学しているのである。このあたりが如空のノスタルジアな感覚を刺激する。
さて、このドラマのクライマックスは最終話のシンクロ公演のシーンである。25分間CMカットなし、編集なし、スタントなしで32人のドラマの役者たちが直接シンクロ公演を行う。そのシンクロ公演のラストを飾るのが四段やぐら、人間の塔である。第一段12人、第二段6人、第三段3人で最上段の一人を持ち上げる。輪になって肩を組み、肩に人を乗せて、下の段から順番に立ち上がるのである。全段が立ち上がれば最上段の目線の高さは6m近くになる。彼らはこれを水中から組んでやり遂げたのである。これはすごい。更にすごいのはその翌年放送された続編「ウォーターボーイズ2」で五段やぐらに挑戦して成功させたことだろう。このラストのシンクロシーンは編集されていたが、公演は撮りなおしのぶっつけ本番で収録され、5段やぐらは観客の前で一度は崩れて失敗するが、二度目の挑戦で成功、これには素直に泣いてしまった。胸の奥底に眠っていたあの懐かしい思いが甦ってきたから。
如空の高校の体育祭は学年対抗で競技を競うという世にも不思議な伝統をもつ学校だった。3年生が勝つことはわかりきったことなのだが、それだけに毎年3年生は「必ず勝たなければならない」というプレッシャーと、高校生活の最後の思い出作りのためにとてつもなく張り切るようになる。応援合戦のクライマックスは学年全員参加のマスゲームである。如空のクラスの男子は、なぜかそのマスゲームのフィニッシュで陣形の中央にて人間の塔、四段やぐらを組むことになった。練習をはじめてみてそりゃもう大騒ぎ。まずみんなしゃがんで下から組んでいくのだが、乗っかる作業に上の段の連中がてこずって時間がかかって,その間至る所から「痛い!痛い!痛い!」と叫び声が上がる。下の段の連中が耐え切れずに崩れてしまうのだ。全員が乗ることに成功しても、今度は土台が立ち上がれない。足腰の力に個人差があり、力あるものは早く立ち上がり、力のないものは立ち上がれない。土台の水平を保つことが出来ずにすぐに崩れてしまう。体育会系のクラブで体を鍛えてなかった者にとってはあれは酷な練習だった。放課後の練習だけでは進まないので、昼休みにも練習するようになり、やがて朝練もするようになるが塔は立たない。逆に疲労が蓄積してドンドン駄目になっていくようだった。受験を控えて勉強に時間を割きたい者もいる。そこにこのハードな練習を強要すると色々と不満もくすぶり、そこにきて練習していることが上手くいかないものだから、クラスの雰囲気はドンドン悪くなっていった。学年全体の練習が始まっても塔は立たない。応援合戦のクライマックスでの見せ場のメインがなかなか成功しないので、他クラスや学年のリーダーたちから心配の声が上がる。一度全体練習で強引に立ち上げてみんなの見ている前で大崩壊した。それを見ていた教師たちがさすがに顔を青くして心配しだした。「四段やぐらは危険だ、けが人が出るぞ、三段やぐらに変更しろ」と指導を入れた。学年のリーダー達も同様の意見を持つものがいた。だがそれを聞いてクラスの男子は一斉に反発した。「ここまできてやめられるか!」と。全員の目の色が変った。何かに取り付かれたように朝も昼も夜もひたすら練習した。しかし、塔は立たなかった。それでも体育祭当日、決行することになった。今思えば若かった。一度も成功していない技を一発勝負の本番で使う馬鹿はいない。仕事では許されないことだ。しかし、前しか見えない、進むことしか考えずに退くことを知らない若さが、その無謀な挑戦を後押しした。体育祭当日、クライマックスの学年対抗応援合戦が始まった。メインの出し物、学年全員参加のマスゲームがスタートする。行進、ダンス、人間ウェーブ、ダンス、人間ドミノ、ダンス、人間ピラミッド、ダンス、人間ロケットと進行し、最後のフィニッシュに向けて陣形が移動する。そのど真ん中で、如空たちは円陣を組んで黙々と四段やぐらの準備にかかる。「一段目!」「二段目!」「三段目!」「四段目!乗った!」いつになく真剣な声が外からかかる。やぐらの中に入らない残りの男子が外部で、状況が解らないやぐらの土台の面々に、合図を出しているのだ。彼らは最悪の事態が起こったとき、つまり塔が倒壊したときは上から落ちてくるクラスメートの下に飛び込んで、彼らが地面に叩きつけられるのを身をもって阻止するという壮絶な役割を与えられていた。「せーのーせ!」如空たち一段目が立ち上がる。「せーのーせ!」「せーのーせ!」と掛け声が徐々に上に上がっていき、遠くなる。BGMなど聞こえない。上に乗っている奴の足の震えが背中に伝わる。塔が少し揺れた。観客席にいる親兄弟、そして先生たちの悲鳴が聞こえた。土台の男たちは歯を食いしばって、静かに黙って傾きを押し戻す。やがて上からまた「せーのーせ!」と掛け声が降りて来た。気がつけばいつの間にかBGMが終っている。「何?何だ、終ったのか?」「立ったのか?」「成功したのか?」状況のわからない最下段の男たちが騒ぎ出す。「まだやぁ!終ってないぞ!気ぃ抜くな!」二段目から叱責が飛ぶ。その二段目も降りて来た。一段目が膝を落としてしゃがんだ瞬間、皆グランドに転がり落ちた。「おい!立ったのか?」「立った、立った!」「やったのか!」「やった、やった、成功や!」「うおおおおおおおお!」歓喜の雄たけびが上がる。そこに「早く退場しろ!」と声がかかる。いつの間にか3年生は退場しており、如空たちだけがグランドの真ん中で取り残されていた。急いで退場門に走り去る如空たち、出迎えてくれたクラスの女子たちの目は赤くなって半分泣いていた。満場の拍手の中、拳を突き上げながら退場する如空達は英雄だった。
前出の「ウォーターボーイズ」を借りたレンタルビデオ屋にはDVDのカバーに手書きのコメントが書かれてあった。「・・・・・・たかが文化祭の出し物にこんなに一生懸命になるなんて・・・・・」とあった。わかってないな、こいつは、と思う。野球をするなら甲子園を目指す、勉強するなら東大を目指す、テニスをするならウィンブルドンを目指す。それだけがドラマか。万人から評価されるものを目指さないと、それは意味のないことなのか。他人から「たかが」と言われ「それが何の役に立つ」「何の意味がある」と馬鹿にされるような様々なこと。その目指していることそのものには価値がないかもしれないが、目指している過程には意味がある。何かを目指して、それを手に入れるには何かが欠けていて、欠けているものを埋めるために、今まで出来なかったことが出来るようになるために、自分を変えようとする。そして自分を変えて、今まで出来なかったことが出来るようになって、目指していたものを手に入れる。その過程を経験すること自体に価値があるのだ、意味があるのだ。ただ、その価値に気づくのはそれからかなり時間がたってからである。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
知人の娘さんが大学受験を控えて工学部建築学科を目指しているという。先に建築の道を進んでいる如空にその知人から建築の大学について知っていることを教えてくれといわれて、知っていることをメールで伝えた。ただ、如空の学生時代より状況が変っていることもあろう。色々インターネットで検索して昨今の大学事情を調べた。そして驚いた。なんと如空の大学時代の恩師が、定年退官後とある私立大学に移り、今まで建築学科のなかった大学に建築学部を作り、その長におさまっているではないか。色々とその経緯は人づてに聞いてはいたが本当に実現するとは。「日本にバウハウス(史上有名なドイツのデザイン学校)みたいな学校を作りたいんやあ」と彼は言っていたが、還暦を過ぎてからその夢を実現するとは。老いてなお盛ん。その歳になっても自分の夢の実現に執着するその熱意には尊敬の念すら覚える。
もっと驚いたのは、その新設学部の助教授に如空の研究室時代の先輩が、そして講師に如空の研究室時代の後輩がそれぞれ就任していることだった。講師になった後輩は長らくオーバードクター(博士号を取ったにもかかわらず、大学に教授・助教授・講師等のポストの空きがなく、教職・研究職に就けずに肩書きのない学生の身分のままでいること)の時期を過ごしていた。もちろん如空の恩師が自分のコネを使って彼を引っ張ってきたわけだが、長らく不遇の時期を過ごした彼にようやく日の目が当たる。経緯など関係ない。運の良し悪しは順番で持ち回りだ。ようやく彼の番が回ってきたのだ。このチャンスを生かして欲しいと強く願う。
しかし、最大のサプライズはやはり研究室の先輩の助教授就任だった。彼女の成績は学年トップ、卒業設計でも学年の代表に選ばれる、まさに学年のトッププレーヤーだった。でも大学院修士課程を経て設計事務所に就職しようとするところで壁にぶつかった。どこを受けても落ちる、どこも彼女を取ってくれない。バブル崩壊直後の就職難に加えて女性が建築業界に就職する際の古臭い考えから来るハンディが彼女を仕事から遠ざけた。他にも就職に苦労している先輩は多々いたが、如空たちの研究室の担当教授は「卒業後の自分の道は自分で探せ」とあまり就職活動には手をかさなかった。しかし、さすがに彼女に関しては心配だったらしく方々手を尽くして、彼女に就職先を色々斡旋しようと努力した。しかし、彼女はなかなかとってもらえなかった。教授の大学時代の同期生に世界的に有名な建築家の事務所でNo2として働いている友人がいた。彼の計らいで、彼女は希望するならその事務所に就職できるようになった。しかし、彼女は悩んだ。なぜなら彼女はその建築家の作風をけして好きではなかったからだ。そんなある日、如空と如空と同じ研究室の同僚とその先輩とで学食でお昼ご飯を食べていた。先輩が突然如空に聞いてきた「如空君なら行く?あの事務所に。如空君なら受ける?この話。」と。如空は答えた。「持っている選択肢によるのじゃないですか。他に選べる就職先があるなら別ですけど、他には今ないわけでしょう。その事務所、入りたくても入れない人がいっぱいいるところですよ。そんな悪い選択肢じゃないとおもんですけど。」と如空は言った。如空の同僚も同じ意見を彼女にしていた。今思えばなんと無責任で無神経な発言をしてしまったことだろうか。工学部にあるとはいえ、その気質は技術者というより芸術家に近いのが建築学科計画系の面々である。自分が気に入らない作風の建築家に師事する事など耐え難い苦痛であったろうに、それを安易に薦めるなんて、なんとも彼女の気持ちを無視した無神経な言い様だったことか。「この不景気で皆苦労しているだから、贅沢言うなよ先輩。」とも言わんばかりのこの言いよう。一年後に自分が同じような苦しみを味わうときになって初めて、如空は先輩に対してとても失礼なことを言ってしまったことに気づいたが、気づいたときにはもう遅い。その後、それを詫びる機会もなく、今日に至っている。自責の念だけが未だに残っている。彼女はその後、悩んだ末、結局その高名な建築家の事務所に行き、それなりに仕事を担当させてもらい、雑誌に紹介されるような知名度の高い建築もスタッフとして手がけて結構活躍していた。先輩とは年に一度の年賀状のやり取りしかしなくなっていたが、今年の念頭にもらった年賀状に「この春に今の事務所をやめます。新しい環境で今までとは違う視点で建築にかかわってゆきたいと思います。」とあったので「ああ、先輩は大学に戻る気だな。」という予感がしたのだが、いきなり助教授就任とは驚いた。あの日の決断がけして間違いでなかったように、運に身を任せながらも、その運を自分の糧になるように、そういう人生であって欲しいと、先輩のために思う。
恩師も、先輩も、後輩も、初心を忘れずに自分の道を着実に進んでいる。その途中には人知れず困難が多々あったことだろう。それでも進んでいる。如空は前に進んでいるだろうか。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
3年前に六甲山の山腹にある土地に大規模なマンションを設計した。その現場監理をして一年間神戸に通った。現場の最寄り駅の近くに小さな喫茶店がある。その喫茶店でコーヒーを飲んでからその現場に行くのが如空の日課だった。そこにはとてもきれいなお嬢さんとその母親が経営している小さなカウンターだけのお店だった。お嬢さんがとても美人でその顔を見たかったことも通っていた理由だが、それ以上に如空の足をその店に向かわせたのはそのお嬢さんの話の内容だった。彼女は三人姉妹の真ん中、服飾関係の仕事について就職したが、あまりにハードな仕事に疲れて実家に帰ってきた。そして母親と二人で喫茶店を始めた。こったメニューは出さない。コーヒーとケーキとサンドイッチだけである。でも職人気質なのか、もともと料理が好きだったのか、コーヒーとケーキはやたらと色々勉強して玄人もうなるものを出す。両親とおじいちゃんと犬と姉と妹、それが家族。毎日毎日、何気ない日常が今の彼女の全て。でもそれがとても幸せそうだ。なにげない家族の日常をとても幸せそうに語る。それを聞いているのがとても心地よかった。あの当時唯一心が穏やかになる時間だった。あの当時、仕事では人生最悪の時期だった。体面ばかり気にして無茶な建築主の要求をそのまま飲んで部下に押し付けるとんでもない会社。プライドは高いが小心者で文句ばかりで問題を解決できない上司。お金が合わない状況と工期のない状況で設計事務所に救いを求めてくる施工業者。わがままなお客の無茶な要求をこちらに振り替えてくる営業。出来もしない要求を「やれ」とプレッシャーをかけてくる不動産業界。例の姉歯元建築士もこんな状況で押しつぶされそうになって犯罪に手を染めたのだろう。如空もまたプレッシャーに押しつぶされていた。犯罪にこそ手を染めなかったが、工期・性能・申請・値段とあらゆる面で解決不能と思われる問題を多々抱えた物件を前に完全にパンクしてパニックになっていた。血便が出て「痔になった」と思ったら血尿が出て心労が体を蝕み始めていることに気づいた。この設計事務所には健康診断が年二回ある、通常年一回の健康診断を年二回にしているのは過労死が続けて社員に起こったからだという。「このままここにいるとこの事務所の仕事に殺される」と思った。やめさせてくれと何度も嘆願したが「一度引き受けた仕事は最後までやれ」とやめさせてくれなかった。責任感も感じた。自分の設計した建物は設計者にとって自分の子供のようなものだ。色々な理由で様々問題を抱えてしまったそのマンション。このままでは問題を抱えたまま竣工してしまう。この建物だけ完成させて、そしてやめようと思った。解決できそうにない問題を一つ一つ解き解きながら一年後に竣工させた。死にそうで、逃げ出してしまいたい毎日だった。忙しくてテニスも殆ど出来ない一年間だった。そんな日常の中で唯一の救いがその喫茶店の親子の会話だったのだ。何気ない日常の風景がどれほど心の健康に大事であるかを思い知らされた。幸せな日常を過ごしている人のそばにいると自分まで幸せな気分になる。大きな目標を達成しようと努力していく過程だけでなく、小さな幸せを積み重ねて繰り返される日常も大切のものなのだと、やっとこの歳になって理解できたような気がする。
先日、神戸でテニスする機会があったので、その帰りにその喫茶店によった。色々とまた世間話をしていると彼女はテニスを始めようとしているという。聞いてみると中学時代、部活で軟式テニスをしていたらしい。「このスクールに通おうと思うのです。」と見せてくれたパンフレットはさっきまで如空がテニスをしていたコートだった。その後、テニスの魅力を懇々と如空が語ったのは言うまでもない。彼女の幸せな日常の中にテニスが加わってくれればこれほどうれしいことはない。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」
彼が帰ってきた。如空に初めてシングルスに特化したレッスンをしてくれた如空と同じ歳のコーチが再び如空たちのシングルスの練習を担当することになった。予想通りのハードな練習が始まった。ベースラインからサイドステップで前に出る。ショートボールを打ち込み、続けて深いボールをサイドステップで下がって打ち、再び短いボールを打ち込み、また深いボールを打つために戻る。俗にスパニシッシュドリルと呼ばれる打ち込みの練習を6回1セットで延々と続ける。次に短いボールをまたサイドステップで回り込んで打ち込む3連打。これも延々と続く。それが終ると今度はサービスラインに移動式のネットを立てて、そのネットを越すように深いボールをクロスで打つ練習。足をしっかり踏ん張って構えてボールに体重を乗せて打たないとボールは二つのネットを越えてくれない。ボールの軌道を高くするだけではネットを越えてもベースラインの中に納まってくれない。二つのネットを越えてさらにベースラインの中に収めるためには「エッグボール」と呼ばれる勢いがあってなおかつライン際ですとんと落ちてくれるドライブショットが必要だ。手打ちでは二つのネットを越えてくれない。回転をかけなければラインにおさまってくれない。ただひたすらに深いボールをクロスに打つ、それがこんなに苦しいものだとは思わなかった。ただひたすら深いストロークを打つということが、こんなに体力を消耗することだとは気づかなかった。へとへとになって皆コートにへたり込み、順番待ちのわずかな時間で体力を回復しようとするが、回復しきれるはずもなく、心臓が歯をへし折って喉から飛び出てきそうになる、ボールを打ち返すだけの機械になった。
皆声が出なくなる。コーチの声だけが響く静けさのなか、突然如空の声が出始めた。打つときに「ヨイショおおお、ヨイショおおおお。」と叫びながら打つ。「如空さん元気ですねえ」と仲間が肩で息をしながら言う。元気なのではない。苦しいから声を無理やり出しているのだ。声を出さなければこんな苦しい練習耐えられるわけがない。そして思い出した。シングルスの練習を始めたころ、如空はストロークを打つときに声を出すタイプの選手だった。無意識に出ていた。苦しいハードヒットのラリーをするためにはそうしないとボールを続けて打てなかったのだ。喉が声で擦り切れるまで叫び続け、ボールを打ち続けた。それがいつの間にか声を出さなくなった。ハードヒットしなくなった。苦しくなる前にあきらめて苦しいラリーを続けようとしなくなっていたのだ。ボールに対する執着心、どんなボールでも走って、自分の打点に入って、しっかりと軸足の踵を踏んで、スイングをして、ボールをスイートスポットで捕らえて、威力のあるボールを相手コート深くに打つ。それがシングルスにおいて勝つための唯一の手段だ。であるのにそれをしなくなってしまっていた。小手先の技術に頼って、サボっていたのだ。声を出さなくてもついていける、楽なことをしているだけのテニスになっていたのだ。苦しいから声を出しながら打つ。この単純だが苦しい動作をひたすら繰り返すことで、昔の記憶が体感と共に蘇る。こういう練習をしなくなったから、こういうボールを打っていなかったから、いつの間にか勝てなくなっていたのだ。
最後はゲーム形式。サイドラインから反対側のサイドラインにめがけて球だしされたボールを追いかけ、それを打ち返してからのポイント取り合い。最初の球出しのボールに追いつくだけで皆精一杯である。練習が終った。「ありがとうございました」の掛け声と共にみなコートにへたり込んだ。
アキレス腱が痛い、ふくらはぎが痛い、太ももの内側が痛い、腹筋が痛い。汗でシャツがびしょびしょになって肌にへばりついて気持ち悪い。汗が目に入って見えにくい。巻いたばかりのラケットのオーバーグリップが今日一日でぼろぼろになった。オムニコートの砂が足にへばりついて、靴の中に山を感じるくらいに入り込んでいる。激しい呼吸をしたために喉の奥の肺の辺りが痛い。声を出しすぎて喉が擦り切れそうだ。
懐かしい痛みだ。こういう苦しい練習をしなくては深くて威力のあるボールを打てはしない。深くて威力のあるボールを打てなければシングルスでは勝てない。忘れていた大事なことが思い出せた。コーチが思い出させてくれたのだ。
「来週から人数減るかもしれない。」とロッカールームで古くからの仲間が言う。「体力的に厳しすぎるってクレームを付けているやつがいる。前のコーチと方針が違いすぎるって。新しいコーチのやり方だとついていけないって。同じ練習を続けるならやめるって言っている。」
「俺はついていくぜ」とすかさず如空は言う。
「言うまでもないことだ。」と仲間は当然のごとくその言葉を受けた。
週末にしかテニスをしないプレーヤーにとってここまでハードな練習をするべきかどうかは意見の分かれるところだろう。ハードヒットのストロークだけがテニスではない。歳を取れば体力も落ちるし、練習時間を取ること自体が難しい。少ない時間でなおかつ趣味とし楽しみながらプレーするなら、ダブルス主体の、もっと違うテニスを目指したほうが良い。しかし、如空はハードヒットのストロークをしたいからシングルスを優先してテニスしているのだ。そのためには、喉が擦り切れ足腰が立てなくなるような練習が必要だというなら、この体がもつ限りついていく。如空がやりたいと思うテニスを実現するための練習がある。如空がやりたいと思うテニスを教えてくれるコーチがいる。同じ方向を向いてテニスする仲間がいる。忘れかけていた感覚と忘れていた思いを思い出させてくれる人たちがいる。忘れていた記憶が蘇る。こんなに幸せなことはない。
4月が終わり5月が来る。ケツメイシの「サクラ」は再びランキング圏外に落ちていき、葉桜から花びらは完全に消えた。替わって常緑の植栽の濃い緑の上層に新芽の薄い黄緑色の層が出来始めた。思い出された記憶が如空にどう影響を与えていくのか、それは五月晴れの空だけが知っている。
「花びら舞い散る 記憶舞い戻る
花びら舞い散る」