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テニスのお寺  電脳網庭球寺

 

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雑記

 

如何なる所か

 

 

 

 

テニスを大人になってから始めて、「はまって」しまった人たち。
コートの外でもテニスのことで頭が一杯な人たち。

最近の自分のテニス内容を反省し、どうすればもっとうまくいくかと考え、自分の部屋の中ではついついラケットで素振りをしてしまい、部屋のものを壊しては家族に怒られる。
子供の頃から、あるいは学生時代からテニスを始めなかったことを後悔し、彼らとの埋め難いレベルの差に絶望し、TVの中のトッププレヤーのテニスに憧れ、テニススクールのレッスンを増やしてみたり、ラケットやガットを変えてみたり、技術書や雑誌を購入して研究してみたりして、休日はテニス中心のスケジュール。

試合に出てボコボコに負かされるだけならまだいい。
リードしているにもかかわらず勝ちを意識して手足が縮こまり、自滅して逆転され敗北する。
技術だけでなく自分の精神的な弱さを見せつけられ、自分で自分が情けなくなる。
「趣味なのに、楽しむためなのに、貴重な休日を返上してまで、なぜこんな精神的苦痛・屈辱を受けなければならないのか。」
「プロ選手やコーチになるわけじゃないのに何でそんなにがんばるのか。」
「たかが趣味にこんなに時間とお金と精神的エネルギーをつぎ込んでいいものだろうか。」
と自問自答する。

「これでは寺にこもって苦行をする修行僧と同じじゃないか」と

それでもやめられない。
映画の「ShallWeDance」や「釣りバカ日誌」の登場人物がいつの間にか社交ダンスや釣りがなくては生きていけなくなったように、もはやテニスなしでは生きていけない。
「遊び」の定義は手段の目的化だ。登山にたとえるならば、頂上に到達することでなく頂上に登るまでの過程そのものが目的なのだ。
今までできなかったことができるようになっていく過程が楽しいのだ。
変わっていく自分自身がうれしいのだ。

ボールがラケットのスイートスポットでしっかり捕らえられたときに手に残る心地よい打球感、無心にラリーが続いているときの高揚感、頭の中で描いた通りの展開でポイントを取った時の快感、自分の打ったボールがきれいに相手の手の届かないところを通りすぎていく時の爽快感、追い上げて来る相手をしのいで勝利を手にした時の達成感、それを少しでも多く感じられるようになるためにコートに向かう。

下手の横好きと笑われようが、恥ずかしい負け方をしようが、暑かろうが寒かろうが、雨が降っていようが疲れていようが、今までできなかったことができるようになるために、ラケットを持ってコートに立つ。

そんなテニスに取り付かれてしまった人たち。
私「如空」もテニスに取付かれた一人です。
この電脳網庭球寺は「如空」が取り付かれているテニスについて
「今までできなかったことが、できようになっていく」ために
考え、実践し、経験し、感じ、試行錯誤を繰り返していく過程を綴る場所です。