第078房 ローランギャロスに最も愛された男 クエルテン (2008/11/22)
なぜグスタボ・クエルテンGustavo Kuertenの愛称がGUGAのか不思議だった。以前ネットの記事か雑誌の記事でその詳しい由来の説明があったのを読んだ記憶があるのだが、内容をよく 覚えていない。だが、もうそんなことを気にする事はなくなる。グガがテニスのシーンに現れる事はもうないからだ。
ブラジルのクエルテンは1997年の全仏で、ノーシードからいきなり優勝した。それが彼にとってのツアー初タイトルであったというから驚きである。翌 1998年、全仏はモヤが優勝、1999年はアガシが優勝してアガシの生涯グラングランドスラムが達成された。そして、2000年、クエルテンは再びロー ランギャロスの決勝の舞台に戻って来た。如空がクエルテンの試合を映像で見たのはこの2000年の全仏が初めてであった。
QF対カフェルニコフ戦、SF対フェレーロ戦、決勝対ノーマン戦、どれも大接戦であった。特にSFのフェレーロ戦は全仏史上に残る名勝負であった。そして 運命の決勝戦、対戦相手でその年クエルテン最大のライバルだったマグナス・ノーマンは出足不調でショットのミスが相次いだ。クエルテンはほぼノーマンの自 滅でセットカウントを先行する。だがノーマンは徐々に落ち着きを取り戻し、本来の素晴らしいテニスを展開し始める。勝つためにはノーマンが完全に目を覚ま す前に勝利を確定しておかなければならない。クエルテンはスピンとフラットを使い分けたストローク力でノーマンを押す。ついに迎えたチャンピンシップポイ ント、ノーマンのショットがラインを割った、と判断したクエルテンはノーマンの元に試合終了後の握手をするためにネットに歩み寄ろうとした。そのクエルテ ンの背中に主審は「イン、オンザライン」の判定を伝えた。手に掴んだと思ったタイトルがまだ彼のものになっていない。ベースラインに引き返して猛然と抗議 するクエルテン、だが判定は覆らない。試合再開、怒りがおさまらないクエルテンはプレーに集中しきれない。そこに復活したノーマンが猛チャージをかける。 ついにノーマンに追いつかれた。このままノーマンに逆転されてしまうのか。観客席が騒然とする中、クエルテンは何とか気持ちを立て直し、最後の締めくくり を果たし切り、再び訪れたマッチポイントを決めた。零れ落ちようとしていた運命を強引に自分に引き戻して勝ち取ったタイトルであった。
このシーンは如空の頭の中に鮮明に刻まれている。ちょうどこの前年の1999年全仏女子シングルスの決勝でのシーンと対比して思い出す。この時、ヒンギス はグラフ相手にリードしているにもかかわらず、ラインジャッジのトラブルで自滅してタイトルを取れなかった。ヒンギスはジャッジトラブルから観客を敵に回 し、自らのテニスを見失い、崩れて行き、手に掴みかけたタイトルを取りこぼした。だがクエルテンは動揺しながらも、運命に逆らわず、天を呪うことなく、崩 れようとする内なる自分自身を必死に立て直し、自らの力で自分から離れた運命をもう一度自分の手に引き戻し、掴みかけたタイトルを決して離さなかった。陽 気で明朗な表情の奥底に隠された彼の強い気持ちがもたらした偉大なる勝利であった。
クエルテンはこの2000年に年間最終ランキングでNO1を勝ち取ることになる。この年のグランドスラムタイトルホルダーは全豪アガシ、全仏クエルテン、 全英サンプラス、そして全米サフィンである。正確な記録と経緯はよく覚えていないのだが、この年は最終年間ランキングNo1の決定が最終戦までもつれた。 最終戦マスターズカップ、クエルテンはそこでとNo1の座をかけて戦った。決勝戦、相手はアガシ、勝てばNO1がクエルテンに決まる大一番、クエルテンは 3セット連続6-4という会心の出来で勝利を掴む。まさに自らの力で勝ち取った年間王者の称号であった。紙吹雪の舞う中、ブラジルの国旗に身を包み、天を 仰いでトロフィーを胸に抱くクエルテンの姿は美しかった。
クエルテンの武器はトップスピンのつなぎ球から突如として打ち出される高い打点からのフラットであろう。全仏初優勝した頃はトップスピン打法だけだった が、後年、高い打点からの打ち込みが出来ようになり、クレーだけでなくハードコートでも勝てるようになった。またサーブが強かった。体全体がしなるように 打ち出されるサーブは回転・速度・コース共にトップクラスの威力である。クエルテンはよく「ふにゃふにゃ」した印象を持たれる。細長い手足によるものだろ うが、特に特徴的なのは右手の柔らかさであろう。サーブでもフォアハンドでも多くの選手の場合、手首を固めて肘を支点に回転させるか、肘を固めて手首を回 転させる。もちろん固めるといっても完全に固定するのではなく、肘の方が手首より大きく回転するタイプと手首のほうが肘よりも大きく回転するタイプの二種 類のどちらかに属する選手が多いという言い方のほうがより正確かもしれない。クエルテンが特殊なのはサーブでもフォアハンドストロークでも、スイングの時 に右手が手首と肘の両方で大きく旋回するのである。だから右手がふにゃふにゃしながら打っているように見える。いやいえるだけでなく、実際にふにゃふにゃ しているのである。この力が抜けているように見えるスイングから鋭いショットが繰り出されるのが、クエルテンの最大の魅力であった。またバックハンドでも ホラー映画のエクソシストのように首から上は前を向いているのに、首からは下は後ろを向いているように見える(あくまで見えるである)ほどに体を捻ってか ら打つ特徴的なスイングの持ち主であった。クエルテンはそのふにゃふにゃ打法から打ち出されるストロークとサーブで赤土だけでなく、世界をも征したのであ る。
2008年WOWOW全仏中継アナログ、そしてデジタルの番組後半版の初戦はこのクエルテンの引退試合の中継であった。2001年にコレチャを破って全仏 優勝を決めた後、コートにハートマークを描いてその上で寝転んだ有名なシーンが試合中継の合間に流されている。全仏の観客からも愛されていた。この最後の 全仏初戦の相手は地元フランスのマチューであったが、観客席はグガファンで埋め尽くされて、グガコールが鳴り止まなかった。それでもマチューはストレート でクエルテンを破り、彼のキャリアに終止符を打った。第三セット、クエルテンのサービスゲームが破られ、マチューのサーブイング・フォー・ザ・マッチが訪 れようしている時に、観客席ではウェーブが起こった。その間、皆から愛されるクエルテンは地元で敵役を引き受けることになってしまったマチューのベンチに 歩み寄り、試合の最中にもかかわらず、ウェーブの間中、笑い合いながらマチューの肩に手をかけていた。
こうしてローランギャロスに最も愛された男はコートを去っていた。グガのこれからの人生に幸多かれと祈りたい。