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第056房 ヘンマンの歩んだ道

 

ヘンマンの試合を始めてみたのは1999年のウィンブルドンだった。ネットプレーヤーとしてのヘンマンの全盛期はこの時期だといわれる。極端なクローズドスタンスから両膝を深く折り曲げ、背中から引き抜くようにラケットを振り上げ、スピンサーブを相手コート深くに打ち込む。フォアでもバックでもラケットを立てて、肩を入れ、膝を曲げてどんなボールもボレーで打ち返す。ロブを上げられてもスマッシュで確実に仕留める。ヘンマンを止めるには彼をベースラインに押しとどめればよいのだが、リターンゲームでもチップ&チャージを見せ、美しいバックハンドスライスからキャリオカステップを使ったアプローチでネットに出てくる。ならば先にネットに出てやれと前に出ると鮮やかなパスで相手を抜き去る。ネットプレーヤーの正統派というより、むしろ古典的とさえ言われるそのプレースタイルは、やや時代遅れでも、球足が速く、バウンドが弾まない芝のコートでは無類の強さを発揮した。世界でもっとも伝統と格式を大切にする高貴な大会、ウィンブルドンで自国のチャンピオンの誕生を願ったイギリス国民の期待を一身に背負うことになったのはやむ得ない。

だがヘンマンはサンプラスと同じ時代に生まれてしまった。幾たびもサンプラスに阻まれた。1999年も準決勝でサンプラスと対決、退けられた。翌年にはベスト4にすら進めなかった。だが2001年、その芝の王者にして最大の天敵サンプラスが4回戦でフェデラーに負けた。「サンプラスさえいなければ芝の上で最強なのはヘンマンだ。」そう信じる、ヘンマニアと呼ばれる熱狂的ファンの後押しを受け、ヘンマンは準決勝に進む。準決勝で待っていたのはゴラン・イワニセビッチ。彼もまた、サンプラスとアガシと同じ時代に生まれたたがためにウィンブルドンのタイトルを決勝で三度まで阻まれた。アガシとラフターの歴史に残る名勝負の余韻が残るセンターコートでヘンマンとイワニセビッチは激突した。イワニセビッチのビックサーブに押されるヘンマン、序盤はイワニセビッチの主導で進む。だが、徐々にヘンマンはそのビックサーブにタイミングが合い始め、やがて主導権を取り返す。反撃を開始したヘンマンに地元ファンが歓声を上げて応援する。「ヘンマンヒル」と呼ばれる会場内の芝の丘で大型モニターを見て観戦するファンも大喝采だった。ヘンマンの反撃の前にイワニセビッチは平常心を失い始めた。このまま行けばイワニセビッチは自滅する。ヘンマンの決勝進出はほぼ確実と思われたそのときに雨が試合を中断させた。翌日も雨、試合を少し消化しただけですぐに中止になり、準決勝は本来決勝が行われる日曜日にまでもつれ込んだ。3日間にわたったこの試合に勝ったのは、何度も平常心を失いながら、雨などで何度も自滅寸前から息を吹き返したイワニセビッチだった。

大きなチャンスを逃したヘンマンだが、失望している場合ではない。翌年2002年ヘンマンは再びウィンブルドンで準決勝まで勝ちあがる。サンプラスもイワニセビッチもいない。そこでヘンマンの前に立ちふさがったのはヒューイットである。リターンの名手にして、パスも上手い。天下の宝刀トップスピンロブと組み合わせてネットプレーヤー・キラーとして知られる。その切れ味は前年に全米決勝でサンプラス相手にいやというほど世界に示された。コートでは当時誰よりも早く動く足を持っていた。何より地元の声援を受けて会場全体を味方につけてくる選手に対して、異様なまでの闘争心を燃やす男だ。この日も、ヒューイットの強いメンタルと鋭い対ネットプレーヤーショットが冴えまくり、ヘンマンはまたもやウィンブルドンをSFで敗退した。そして翌2003年からウィンブルドンはフェデラーの支配下に置かれることになる。年齢を重ね、サーブの威力が落ち始めたヘンマンにはもうチャンスがないだろう、と思われた。
だが、ヘンマンはウィンブルドン以外の場面で、意外な形で復活する。2004年の全仏オープン。クレーコートが苦手なはずの男が二人、勝ち進んでいた。ヒューイットとヘンマンである。ヘンマンはサーブが衰えた分、フォアハンドを強化してベースラインからの打ち合いでも打ち勝てるようになって戻ってきた。

ネットプレーヤーとオールラウンダーを分かつものは何か。男子テニスにおいてそれはフォアハンドストロークの威力である。かつてエドバーグもラフターも、そして初期のヘンマンも、美しいバックハンドを持っている選手だった。スライスを多用するが、フラットも実に美しいフォームから放たれ、ダウンザラインへ何度もウィナーとなった。だが彼らはオールラウンダーとは言えない。フォアが弱かったからだ。男子テニスにおいてフォアが弱ければベースラインで打ち合えない。それを補うためにネットラッシュを繰り返す。それがネットプレーヤーだ。サンプラスがサーブ&ボレー主体の選手でありながらオールラウンダーと呼ばれたのはフォアハンドストロークも十分に威力があったからに他ならない。
そのフォアが弱いネットプレーヤーであったヘンマンが、フォアも強い、ベースラインからも攻めれるオールラウンダーとなって帰ってきた。ネットダッシュだけでは勝ち進むことは難しかっただろうクレーの祭典、全仏オープンでベスト4まで進んだのだった。SFでコリアに惜敗するのだが、皮肉なことに、その敗因はストローク戦でなく、ネットでの決定力が後半不足したことだった。

直後のウィンブルドンで成績を残せなかったヘンマンだが、その夏、全米でまたもやベスト4まで勝ち進む。ヘンマンのテニスの充実期であったといえよう。だが、驀進するフェデラー・エクスプレスを止めることができずに、またもやグランドスラムで準決勝の壁に阻まれた。
あれから二年以上が経った今日、AIGジャパンオープンの決勝でヘンマンはフェデラーと戦った。決勝戦でギアをトップに入れているフェデラーはヘンマンのサーブゲームを1ゲームずつ、しっかりとブレークしてストレートで優勝した。フェデラーのパスが冴えまくり、ヘンマンは何度もネットで抜かれた。だがそれでもネットダッシュをやめないヘンマン、自分のテニスを貫く彼の姿は、破れたとはいえ、心打つものがあった。

ヘンマン自身は、スタートレックのMrスポックのような顔をしておきながら、奥さんはとてもきれいな人だ。年齢差があるがなぜかフェデラーと気が合うらしく、コートの外でよく一緒に行動を共にするらしい。このジャパンオープンの間も一緒に鉄板焼きを食べに行って、ヘンマンが洒落でカウンターの中に入ってコックの真似事をなどをして、楽しく時を過ごしたという。ヘンマンももう32歳、残された時間は少ないだろうが、彼はもうプレッシャーから解放され、残された時間を悔いを残さないようにすごそうとしているかのようだ。その古典的なプレースタイルを少しでも長く見せて欲しいと思う。


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