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第044房 ヒンギスが帰ってきた (2006/02/04))

 

ヒンギスの試合を見た。2006年の全豪一回戦である。2002年の全米を最後に彼女がツアーから離れて4年がたっていた。

明日も仕事がある。早く寝て、明日に備えなければならない。録画してあるから後日見ればよい。そう思ったが、それでも見てしまった。疲れているにもかかわらず、深夜2時から3時まで見た。見たら眠気が吹き飛んだ。TVの画面の中にはまごうことなきヒンギスのテニスが展開されていた。

WOWOWはその直前にハース対ガスケを放送していた。これも好ゲームだった。ハースが才能あふれる素晴らしいテニスをして、見ているものを魅了していた。しかし、その直後放送されたヒンギスのテニスはハースのそれを上回る、見ているものをひきつけてやまない素晴らしいテニスだった。

相変わらずの入れるだけのスピンサーブ、相変わらずのムーンボール主体のフォアハンドである。現在のビックサーブとハードヒット主体の女子テニスを見慣れたものにとってはスピード感がないかのように見えてしまう。しかし、対戦者のズボナレワは何時の間にか動かされ、オープンコートが作られ、そこにきれいにウィナーが吸い込まれていく。動かされて、コートの外に追い出され、苦しい状況になったズボナレワはセンターに戻り体制を立て直す時間を稼ぐために中ロブを上げるが、そこで粘ることをヒンギスは許さない。スルスルと前に詰めるとズボナレワの反対側に大きくあいたがら空きのコートにダイレクトでボレーを叩き込み。鮮やかなノータッチウィナーを決める。それも何度も何度もウィナーを決める。見ていて思わず歓声を上げてしまうほどの見事な攻めだ。おそらく、シングルスの試合をしている人が「こんなふうにウィナーを決めてみたい」と思うテニスだ。そして、テニスをしたことのない人、テニスを見るだけの人、テニスを普段あまり見たことのない人でも「かっこいい」と思わずにはいられない見事なテニスだ。あれこそがマルチナ・ヒンギスのテニスだ。ヒンギスがコートに帰ってきたのだ。

ズボナレワはショットの威力でヒンギスを崩したいのだが、ヒンギスは崩れない。ショットの威力はズボナレワの方が上だろうが、ラリーの主導権を握っているのはヒンギスである。ヒンギスはコートの中に入って下がらない。ズボナレワの深いストロークもライジングでさばいて切返す。ライジングで打ち返すとボールはフラットになりやすいものだが、ヒンギスのフォアはそれにヘビースピンをかけてムーンボールを返す。深いフラットなストロークをライジングからムーンボールで打ち返すことなどそう簡単にできるものではない。スピンが多くかかったムーンボールはハードヒットされたフラットドライブのショットより威力は劣る。しかし、その代わりにより厳しいコース、厳しい角度、厳しい場所にボールを入れることができる。迫撃砲を乱れ打ちするかのように厳しい場所にボールを落とすヒンギス。ズボナレワは動かされる。「ウィナーを取るためにオープンコートを作る。その為に相手を動かす。」テニスにおける大原則をヒンギスは忠実に実行しているだけである。相手のミスを待つわけでもない、ショットの威力で相手を崩すわけでもない。威力のあるショットを打つというのはその目標を達成するための手段であり、選択肢の中の一つでしかない。威力のなるショットを打つことは目的ではないのだ。こんな当たり前だが忘れられがちなことをヒンギスのテニスは実践をもって教えているようだ。

ヒンギスは攻めが早くなった。コートが少しでもあけばそこにハードヒットするようになった。ボールが浮けば、すぐに前に詰めるようになった。スライスボレーだけでなく、スイングボレーも使ってすぐに決めにかかるようになった。特にフォアのドライブボレーは見事だ。ネットより低い位置に落ちたボールをヘッドを落として強引に打ちに行く。それがワイパースイングできれいにボールを拾い上げてコーナーに吸い込まれていく。ドライブボレーというよりトップスピンボレーと呼ぶほうがふさわしい。あんなスイングボレー、男子でもアガシしかやった所を見たことはない。

ヒンギスはバックが強くてフォアが弱い。ゆえにヒンギスと対戦する選手はヒンギスのフォアにボールを集めてくる。ズボナレワもこの試合、ヒンギスのフォアにボールを集めた。だが、ヒンギスはそれを想定してフォアを鍛えてきていた。相手の深い威力のある球もライジングでさばく、フォアの逆クロスに鋭いショットを何度も打ちムーンボールだけではないのだと言うところを見せつけた。絶えずコースを変えつづけるヒンギスの配球であったが、時にズボナレワとのクロスの打ち合いにも引くことなく立ち向かい、何度も打ち勝った。「ハードヒットもいつでもできるのだ」というところをコートで存分に表現した。そしてバックハンドは相変わらず彼女の武器であることも示した。

この試合、ヒンギスが素晴らしいテニスを展開したとはいえ、ズボナレワには厳しい評価がされることだろう。ヒンギスのセカンドサーブが弱いところは相変わらずであるのにリターンから攻めなかった。得意のハードヒットの応酬も何度もあったのに、そこでヒンギスを押し切れなかった。当人にとっては不本意なテニスであったろう。ヒンギスに現在のWTAの厳しさを教えるはずだったシードNo30は完全にヒンギスの引き立て役にされてしまった。

アガシやロディックを育てたことで名高いコーチのギルバートは常々「相手のミスでも、自分のウィナーでも、同じ1ポイントなのだ。」ということを力説し、リスクを背負ってウィナーを狙うだけのテニスを暗に批判している。それはテニスと言う勝負の世界で試合に勝つためには正しい意見だ。しかし、プロテニスは観客にテニスを見せることでお金を稼ぐエンターテイメントでもあるのだ。そして観客が最も期待し、喜ぶのはラリーの末のノータッチウィナーなのだ。ヒンギスのテニスはウィナーを取りに行く。そのための手段として相手を動かしオープンコートを作るのである。きれいにあいたオープンコートにウィニングショットが吸い込まれていくシーンほどテニスファンを魅了するものはない。ウィナーを狙うテニスこそプロのテニスだ。「魅せるテニスをして、なおかつ試合に勝つ。」これがプロのテニスなのだ。男子のフェデラーが「自分のテニスは美しい」と自画自賛するその皇帝のテニスもまた、これと同じ美学に基づいている。

ベルギー勢やウィリアムズ姉妹どころか、ロシア勢のハードヒットにも抗し切れずにヒンギスは負けるだろうと如空は予想していた。本来のヒンギスの美学に基づいたテニスができないのであれば復帰などしないほうが良いと考えていた。だがヒンギスはテニスのレベルを上げて復帰してきた。それでも打倒ベルギー勢、打倒ウィリアムズ姉妹とまでは行かないだろう。だが、ストレートで圧勝した試合でこれほど見ているものを魅了する、面白いテニスをする選手は女子には他にいない。男子でもフェデラーを含めて数人しかいない。テニスを見ようという気にさせてくれるテニスだ。これこそがプロのテニスだ。試合を見終わったあと、考えが変わった。ヒンギスが復帰してくれて本当に良かったと今は思える。

表情豊かで、感情を常に発露させ、そのくせ頭の中はクレバーで、プライドが高くて、くそ生意気で、タブーの発言をわざとして物議をかもし出す目立ちたがり屋、ファンも多いがアンチも多い、好きでも嫌いでもとにかく人の気を引かねば気がすまない典型的なアイドル気質、日常の世界ではおそらくトラブルメーカーにしかならないだろう面倒な存在、しかし、コートの上では多くの人を魅了してやまない「ウィナーを狙い、なおかつ試合に勝つテニス」を展開する貴重な存在。それがマルチナ・ヒンギスだ。その存在感は今もかわらないことを示してくれた。

初戦は幸運にも恵まれた、これから先には厳しい現実も待っているだろう。それでもヒンギスのテニスを見てみたいと思う。忙しくても、睡眠時間を割いてでも、見てみたいと思うテニスが帰ってきた。マルチナ・ヒンギスがコートに帰ってきたのだ。





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