第032房 ガウディオの運命論 (2006/01/08)
2004年の全仏オープンは大方の予想では本命がモヤかコリアであった。しかし、クレーには魔物が住む。この年皇帝フェデラーがリトルスラムを達成するこの年、フェデラーが唯一取り損ねた全仏タイトルを取ったのはダークホース、アルゼンチンのガストン・ガウディオであった。
彼はQFでヒューイット、SFでナルバンディアンを破り、コリアの待つ決勝に進む。この大会のガウディオは確かに素晴しいテニスをした。深いラリーでミスをせずにハードヒットを続けるあのストローク力は素晴しい。粘り強いヒューイットが我慢できなったのもよくわかる。そしてバックハンドのダウンザライン。一回戦で見たハースやQFのグーガとフェデラーのシングルハンドバックも素晴しいが、ガウディはその上を行く美しさだ。思わず「おお」と声を上げてしまう。要所で決めてくる。実に美しいテニスを展開する。かつてグーガが着用していたディアドラのウェアとシューズを身にまとっているが、まさかそのクエルテンと同じように南米のダークホースとしてこの全仏で初GSタイトル奪取をするなどと誰が想像していただろう。
ガウディオはこの大会の最中にこみ上げてくるものを押さえきれずに泣き出している。お金がなくてツアーを転戦する移動の手段に事欠き、苦しい生活を強いられた下積みの日々を突然思い出したらしい。その頃に比べればこの大舞台で活躍できる自分がなんと幸せなことか。しかし、まさか優勝にまでいたると彼自身この時点で予想していたかどうか。
男子決勝は意外なドラマが展開。コリア絶好調で試合が進み第一第二セットを連取。ガウディオも反撃を開始して第三セット奪取。さあ第四セットはいかに?というところでコリアの足が痙攣、続行は無理かと思われたが、なんとコリアは第四セットを捨てて足の回復を待ち、第五セットで勝負をかけてきた。
実はコリアは数年前、ドーピング疑惑をかけられ、それ以降薬品の使用に神経質になっている。疑惑以降、「あんなモノにたよらなくてもやれるってこと証明したかった」と栄養剤・サプリメントの類を一切取らなかった。試合中も飲むのはミネラルウォーターだけ。このことが直接の原因なのかケイレンを起こしやすい体質になってしまっている。敗北の記者会見でこのことを涙ながらに語るコリア。
しかし、実際にはコリアは試合中マッチポイントを握っている。トレーナーに15分ほどで回復するといわれたコリアは第4セットを捨てた。ほとんど動かずプレイし、チェンジコートではバナナと水をひたすら取り続ける(共にケイレン防止に有効)。そして、第5セット、完全とはいえないまでも走れるようになったコリアは早い段階でフラットの一発勝負でポイントを稼ぎ、6-5にして二度もマッチポイントを握る。しかし、ここでとりきれずに最後は6-8で落とし、敗れる。
ガウディオは難しい立場にあった。満足にプレイできない相手に負けることは許されないが、勝っても相手の怪我のおかげだとケチがつく。彼もまた心に割り切れないものを持っていただろうと私は想像していたのだが・・・・試合中のガウディオの表情や試合後のインタビューを読む限り、私が想像したことなどほとんど気にしていない様子だった。プロの競技者とはこういう性格でなければならないのかもしれない。如空には到底及ばない境地だ。
バックハンドの素晴らしさもさることながら、その天然ボケのキャラのとぼけた性格はツアー中サフィンと双璧とまで言われる。不幸な目にあった同僚の選手たちの境遇について「それも運命、仕方ないよ」とよく言う。日本語に訳されるときに、ある程度小生意気な印象をもたせるように訳されているので「他人の痛みのわからぬやつ」とよく言われる。2005年のマスターズカップのトップ選手の欠場問題しかり、2004年の全仏決勝でのコリアの足の痙攣問題しかりである。だが如空が思うに多分ガウディオは運命論者なんだろう。運の悪い時は誰にでもある。そのときは何をやってもだめ。その不幸を受け入れられずに無理やり原因を見つけ出して自分を責めたり、他人を責めたりしても仕方ない。運の悪いときは休んでいろ、そして流れが来たらそれにのって一気に駆け上がれ。自分のチャンスが相手の不幸の結果だとしても、相手に気兼ねしての遠慮はするな。運の良し悪しは順番で持ち回りだ。替わりに自分の不幸が他の人に幸運をもたらしていることもある。だから人が不幸だからって遠慮することはない。同様にこちらが不幸のとき、チャンスの相手に同情などして欲しくない。だから、経緯がなんであれ、自分にチャンスがくればそれを生かすべく全力を尽くすのさ。そんなふうに考えているのではないだろうか。
以上は如空の推論でしかない。実際のガウディオの性格や考えが同様なものかどうかを正確に知るすべもない。ただ、報道を通じて知るガウディオの言動に如空は彼なりの運命論を強く感じるのだ。2004年の全仏決勝、足を痙攣した同国人コリア相手の試合はさぞかしやりづらいものがあったろうと如空は考えたのだが、実際、ガウディにはプレーでもその後の会見でもそんなやりづらさを感じさせる部分は見受けられなかった。そのときから多分ガウディオはそういう運命論者なのだろうと如空は勝手に想像している。
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