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第020房 フェデラーの目に光っていたもの (2005/05/06)

 

如空が子供の頃「聖子ちゃんごっこ」というのが一時期はやった。
「今週の第一位、青い珊瑚礁、松田聖子さんです!」
「おかぁーさぁーん!ぶええぇーん(と泣く)。」
「ザ・ベストテン」というランキングトップ10の歌謡曲を10位から順番に発表して放送していく番組において、デビュー曲で初めてNo1になった当時まだ10代の松田聖子がミラーの回転扉を押して出てきたとき、いきなり泣き出したのを見た当時の小学生達がみんなそのシーンを真似て遊んでいたのだ。確か番組の中で母親と電話がつながって会話したときに「お母さーん」と叫んだような気がするが、昔のことなのでよく覚えていない。ただ、子供心に女はNo1になったときや優勝したときは泣くものだという思い込みがそのときに如空に出来てしまった。

ところがその思い込みはテニス観戦に関しては大いに裏切られている。WTA大会の決勝戦を勝利して優勝した女子選手なのかで涙を見せる選手なぞ、ついぞお目にかかったことがない。負けて悔し涙を流しても、勝って喜びの涙があふれることはない。それがグランドスラムのタイトルであったとしても、少女もベテランも一様に無邪気に飛び跳ねて喜ぶだけだ。むしろ男子選手のほうが感極まって涙を見せることがある。

3度目の決勝チャレンジで全仏を制し、1999年に生涯グランドスラムを達成したアガシの目には光るものがあった。その頃まだグラフとは付き合っていない。優勝の瞬間、ブラッド・ギルバートを始めとする自分の陣営に向かって後ずさりながら両手で小さなガッツポーズを何度も繰り返すアガシ。そのとき目を潤ませながら自陣を見上げる表情はまさに感無量、言葉にならない思いを表していた。全仏には2年連続決勝に進みながらゴメスとクーリエに阻止された。結婚と離婚も経験した。No1に至りながら、その後100位以下にまでランキングを落とし、ツアーの下のレベルの「チャレンジャー」大会からやり直し、そこから這い上がってきた。年齢はそのとき既に29歳、色々な思いが彼の脳裏に横切ったのだろう。その後さらにグランドスラムタイトルのコレクションを増やしていく彼だが、涙を見せたのはこのとき限りだ。

4度目の決勝チャレンジでウィンブルドンを制し、2001年にグランドスラム初タイトルを手に入れたイバニセビッチの目にも涙があった。サンプラス・アガシと同じ時代に生まれてしまったがために彼らに目の前のタイトルを奪われてきたイバニセビッチ。ビックサーブしか武器を持たない彼には狙えるGSタイトルはウィンブルドンのみ。3度阻まれ、年齢を重ね、シードもつかなくなった30歳のとき、ワイルドカードを与えられた大会で4度目の決勝に進む。雨による3日にわたるヘンマンとのSFを制してゴランが臨む決勝の相手はパトリック・ラフター。またもや勝負はフルセットにもつれ込む。サーブインフォーザセットを掴むが決められないイバニセビッチ。今にも泣き出しそうな顔で天を仰ぎ、勝たせてくれとボールに祈りを込める。しかし、決めきれない。何度もチャンピョンシップポイントを逃す。そして何度目かのマッチポイントでついに祈りをやめ、静かにサーブに臨んだとき、彼の手にタイトルは訪れた。天は自らを救おうとする者を助ける。神頼みをやめ、自分を信じて打たれたサーブがイバニセビッチを勝たせた。顔をくしゃくしゃにして泣きながらファミリーボックスに駆け寄る姿はとても30男には見えなった。大きな子供だ。彼の胸に去来した思いはどんなものだったろう。

2004年の全仏を制覇するガウディオは決勝ではないが、やはりその大会の最中にこみ上げてくるものを押さえきれずに泣き出している。お金がなくてツアーを転戦する移動の手段に事欠き、苦しい生活を強いられた下積みの日々を突然思い出したらしい。ベテラン達の栄光の影には様々な思いが込められている。

2002年にヨハンソンがサフィンを破って全豪を取り、コスタがフェレーロを破って全仏を取ったときにも、彼らは静かに優勝の瞬間を味わっていた。ベテランだからといってこみ上げてくるものを抑えきれなくなるわけではない。その選手の性格にもよるだろう。王者サンプラスはその晩年、全米オープン決勝で2年連続敗退し、2002年の決勝でライバルアガシを下して最後のグランドスラムタイトルを手に入れた。その直前の3年間はプライドがずたずたに切り裂かれていただろう。しかし、最後の勝利の瞬間、夫人に駆け寄るサンプラスの表情は穏やかな笑みに満ちていただけだった。

才能あふれ、恐れを知らない若者達が、その才能を開花させ、一気に階段を駆け上がり、登りきる過程に涙はない。
サフィンが全米を取ったときにも、ヒューイットが全米を取ったときにも涙はなかった。サフィンは信じられないという表情をし、ヒューイットはカモンの雄叫びこそ大きかったが、その表情は静かな自信に満ちていた。
フェレーロは全仏を取ることに苦労した。母親の死から立ち直った2000年、全仏に颯爽とデビューしクエルテン相手にSFで名勝負を演じその存在を強烈に世間にアピールしたフェレーロ。しかし、その翌年、SFでクエルテンにまた破れ、翌年は決勝に進むながらコスタに敗れた。常にクレーにおいて最強と本命視されながら、彼が全仏を取るのはようやく2003年になってからだった。そのときの彼の表情は「漸く乗り越えた」という安堵の表情だった。
ロディックもまた苦労した。ジュニア時代からその才能に世間は期待し、次世代No1の筆頭候補として、彼がいつ最初のグランドスラムタイトルを取るのかを注目していた。しかし、いつもQFかSFで大熱戦を演じた末に敗れていく。「このままではいけない、変わらなければ」とブラッド・ギルバートにコーチをオファーし、その数ヵ月後、漸く全米タイトルを手に入れた。フェレーロとの決勝戦、終始クレバーな表情でプレイを淡々とこなしていたロディックは勝利の瞬間、突然奇声を上げてラケットを落とし「信じられない」という表情で何度も頭を振って見せた。ギルバートのマジックが完成した瞬間に教え子は驚愕の表情を浮かべたが、その目に涙はなかった。

だからこそ、2003年のウィンブルドン決勝でフィリポーシスを下して優勝を決めたフェデラーが突然感極まって泣き出したとき、如空は不思議に思った。フェデラーもそこに至るまでに努力を積み重ね、苦労もしてきたろう。しかし、あの若さでこみ上げてくるものは何だ。試合中あれほどクレバーな彼が抑えきれないほどの湧き出てくる感情とは一体どういうものなのだろう。ずっと如空は気になっていた。

先日、onm684さんのブログでフェデラーの記事を読んでその疑問が少し解ったような気がする。素晴しい記事に感謝。もちろん、彼の心の奥底にあるものは他にも色々とあるだろう。人の胸の内を全て外からうかがい知る事など出来るすべもない。しかし、彼の心境の一端が垣間見られたことはよかった。コートの上にはコートの外での思いも重ねられていく。それをプレシャーにしてしまい、足を引張られるものもいる。そしてそれを力に変えていけるものが勝ち残っていく。

 

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