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第013房 天真爛漫なる女王 マルチナ・ヒンギス (2004/11/14)

 


10月2日(土)に元世界No1、全豪・全英・全米のGSタイトルホルダー、マルチナ・ヒンギスが来阪していた。東京で開催されていたジャパンオープンにあわせた一連のヨネックスのイベントの一環として、吹田市にある江坂テニスセンター(インドアコートとしては大阪屈指の設備)で車椅子テニスとジュニアクリニックを行ったそうだ。見学が自由だったので、ぜひ見に行きたかったのだが、仕事とテニスの予定がつまっていたので、いけずじまいに終わり少し後悔している。

如空はヒンギスについては思い入れがとても強い。何度かHPで書き込んでいるが、如空がテニス観戦を始めたのが1999年である。1999年はアガシが挫折から復活しグランドスラムの偉業を成し遂げた年であると同時に、ヒンギスの挫折と苦悩が始まった年でもある。最初に気持ちを引かれた相手には特別な思い入れが付きまとう。それゆえにアガシとヒンギスには強い思い入れがあるのだ。

私やアガシ・グラフが生まれた10年後の1980年に生まれたメラニー・ヒンギスの娘は、メラニーが尊敬するWTAの当時の女王マルチナ・ナブラチロワの名前をつけられ、母親からテニスを教わる。7歳で父親と別れて母娘で生まれ故郷のスロバキアからチェコに移住。8歳でさらにスイスに移住、1994年14歳でプロデビュー、1997年に全豪を取り、その数ヵ月後16歳6ヶ月で世界No1にランキングされた。1997年は完全にヒンギスの年で、全仏は決勝でイバ・マヨーリに敗れたものの、その後ウィンブルドン、USオープンを制し、グランドスラム全てに決勝進出、そして3勝でリトルスラム達成、グランドスラムまで後全仏を取るだけというところに迫った。彼女の活躍、そして彼女のあとを追うリンゼイ・ダベンポートやビーナス・ウィリアムズ、アンナ・クルニコワの台頭はグラフ・セレス時代の終わりを告げるものだと誰もが感じていた。
1998年は相性の良い全豪を連覇し、幸先のよいスタートを切る。グラフが故障続きでツアーのほとんどを休場していた年でもある。ダブルスではルチッチとのペアで年間グランドスラムを達成した。しかしシングルスでは、全仏ではセレスに、全英でノボトナに破れ、決勝にすら進めなかった。全米ではこの二人にリベンジを果たすが、決勝で終生のライバルの一人、ダベンポートにストレートで敗北。去年の大活躍とは打って変って、グランドスラムは全豪の一勝のみで、最後には一時的とはいえダベンポートにNo1を明け渡してしまった。

そして運命の1999年が幕を開く。

開幕は順調だった。「自分の庭」と言ってはばからない全豪オープンでフランスのモーレスモを破り3連覇を達成、しかもダブルスでもクルニコワとのコンビで全豪3連覇という偉業を成し遂げる。
私がヒンギスのプレイをTV中継で一試合まともに見たのはこの1999年全豪決勝の対モーレスモ戦が最初である。
判官贔屓の如空は当初からヒンギスに押されっぱなしのモーレスモを応援していたが、やがてヒンギスの実に楽しそうなテニスに引かれていく。

淡々としたトップッスピンを右に左に打ち分けて相手を動かし、オープンコートを作り出して、そこにボールを入れて、「はい、おしまい」という感じでポイントを簡単に積み重ねていく。ドロップショットやロブを多用し、前後にも相手を揺さぶる。逆に自分が走らされても素晴しいフットワークで追いつき素晴しいランニングショットから信じられないところへ打ち返しエースをものにする。特に走りこんでのバックハンドダウンザラインは最大の武器であり彼女の代名詞でもあった。
バックハンドに比べて、厚いハンマーグリップのフォアハンドからはスピンが多目のムーンボールが主体でヒンギスの弱点とされていたが、威力はなくてもそのコントロールは抜群だった。もう一つの弱点とされたサービスも威力はなくてもコントロールは抜群でプレースメントを重視し、常に相手を動かすことを意識したサービスの組み立てでサービスゲームをキープする。
ダブルスでグランドスラムを達成するくらいだからネットプレーも上手だ。サーブ&ボレー、チップ&チャージで前に出るタイプではないが、シングルスでも短い球が来れば前に出てボレーで仕留める。ストローク主体の理想的なオールラウンダーだ。アプローチショットの打つ場所が実にいいところだし、前に歩きながら打つようなアプローチショットの打ち方も素晴しい。道具にもこだわっていた。デビュー当初よりヨネックスのラケットを愛用し、未だにヨネックスの看板である。細いグリップを好み、常にレザーテープでグリップを巻いていた。


しかし、何より彼女の魅力はその豊かな表情だろう。男女を問わずプロの試合であんなに楽しそうにテニスする選手を私は知らない。失敗すれば天を仰ぎ、舌を出し、ラケットで頭を小突いたりラケットをかんでみたり。天真爛漫で無邪気な少女の表情そのままにコートでテニスをする。コートの中で遊んでいる少女のようだ。
コートの外では率直な発言がよく物議をかもし出した。99全豪対戦の相手モーレスモを「男女」と言ったり、グラフに対して「彼女から何も学ぶべきものはない」といったり、ウィリアムズ姉妹の父親(コーチでもある)を批判したりと色々と話題に事欠かなかった。いかにも気の強そうな顔つきで、小生意気な娘といった印象がマスコミを通じて流されていったが、それも彼女の強さ上の反響だろう。凄い美人というわけではないが、その明るさで常に人の注目を集めずにはいられない、そんな少女である。

全豪直後に東京で行われた東レパンパシフィックオープンの準決勝でグラフを破りそのまま決勝でも快勝して優勝した。ちなみにグラフ戦では途中グラフが左足を痙攣させ、途中治療のための時間をとるが、その間、ヒンギスはボールでお手玉をしたり、サーブを空振りして背面打ちでボールを打つなどの技を観客に披露したりして完全なる余裕を見せ付けていた。この勝利でNo1に返り咲き、「今年はまたヒンギスの年、この後ヒンギスが全仏を取り、グラフから女王の座を引き継ぐ年」と誰もが予想した。そしてその格好の舞台が用意される。99年全仏女子決勝でグラフとヒンギス、新旧女王の直接対決が実現する。実はこの二人、グランドスラムの決勝で当たるのはこれが最初であった。グランドスラムをほしいままに獲得し、ナブラチロワ時代を終焉させ、ライバルセレスと何度も名勝負を演じた、90年代の偉大なる女王グラフ。唯一ものにしていないグランドスラムタイトルである全仏の決勝でそのグラフを迎え撃つ現女王のヒンギス。グラフには残されている時間は残り少なく、いつ引退するか、秒読み態勢に入っている状況だった。これが最初で最後の新旧女王対決によるグランドスラム決勝になるかもしれない。ここでヒンギスが勝利して、生涯グランドスラムを達成して、王座の引継ぎ継承が行われるのだと、少なくともヒンギスもヒンギスを応援するファンも考えていたはずだ。ここで大きな挫折をするとは誰も予想だにしていなかったろう。

グラフを左右に振り回しオープンコートにボールを入れて、いつものヒンギスのテニスで第一セットを奪取、第二セットもヒンギスペースで進んだ第3ゲームで「事件」は起こった。
ヒンギスの放ったショットがベースラインぎりぎりに落ち、線審は「アウト」をコールした。入ったと確信しているヒンギスはボールマークのチェックを要求。クレーコートの試合ではボールバウンドの後がつくので、判定に不満があるときはボールマークのチェックを選手は要求できる。主審が審判台を降りて線審とともにボールマークを探すが、線審も主審もマークを見つけられない。「ボールマークが見つけられないので、最初のコールを採用する」と主審が宣言してヒンギスが切れた。ネットを越えて相手コートに入り、自分でボールマークをラケットで指し示した。相手コートに入ることは重大なエチケット違反である。判定が覆るどころか、これでヒンギスはコートバイオレーションを取られてポイントペナルティを取られる。そのヒンギスに対してフレンチオープン名物の観客のブーイングが浴びせられる。この「事件」を境にヒンギスは徐々に精神的に崩れていく。
サーブインフォーザチャンピオンシップまで行きながら自滅の形でサービスゲームを落とし、そこからグラフにゲームを連取され第二セットを失ってしまった。
第三セット初頭、バスルームブレイクを取り、ウェアを着替え、髪型を変えて、気分を一新して試合に臨もうとするが、観客のブーイングが次第に激しさを増し、まともに試合できる状況ではなくなっていった。完全にグラフペースとなり、5-2とされ、万策尽きたヒンギスはそれでも流れを引き戻そうとアンダーサーブを放つ。かつて全仏でマイケル・チャンが優勝してとき奇襲で使った例があるが、そのとき拍手したローランギャロスの観客はこのときヒンギスのアンダーサーブに対してはこの日一番の猛烈なブーイングを浴びせた。サーブを打つときも奇声を発する観客の前に集中力を乱されヒンギスはサービスをキープできず、グラフと観客と審判団の前に敗れ去った。グラフは合計5回もボールチェックを要求したのに対し、ヒンギスがこの試合要求したボールチェックの回数は2回。しかし、その内の1回が致命傷を与えることになるとは。
ロッカールームで泣きじゃくるマルチナを母メラニーがつれて表彰式に連れ出すが、それに際してもブーイングを浴びせる観客達は非常に不愉快だった。この表彰式でグラフは「ローランギャロスでプレイするのはこれが最後だ」と語り、今年限りの引退を表明した。その後、グラフとヒンギスは再び公式戦で会い見えることはなかった。

ヒンギスが受けた傷は大きかった。今まで二人三脚で歩んできたコーチであり母親でもあるメラニーと一時的に距離を置く。原因はよく判っていない。そして臨んだウィンブルドンで今度は第一シードにして1回戦敗退をしてしまう。相手はかつてのヒンギスのヒッティングパートナーであるエレナ・ドキッチ。彼女の前にヒンギスは第一セットで2ゲームしか取れず、第二セットは一ゲームも取れずに敗北した。全仏でグラフの引退に花を添えてしまったヒンギスはドキッチをスターダムに登らせるきっかけも与える結果になる。そして後に生涯グランドスラムを達成する2002年の女王セリーナ・ウィリアムズに初のグランドスラムタイトルをプレゼントしたものもこの年のヒンギスである。
99年の全米準決勝で宿敵ビーナス・ウィリアムズをフルセットの激闘の上退け、ウィリアムズ一家の野望(BY父リチャード)であるオール・ウイリアムズファイナルを阻止したヒンギスだが、決勝で妹セリーナの猛攻の前に沈んだ。この頃より、ダベンポートとウィリアムズ姉妹のパワーテニスの前にヒンギスは通用しなくなったと評されるようになった。
ウィンブルドンこそ一回戦敗退だったが、全豪・全仏・全米の3大会に決勝進出、内全豪を取り、99年間最終No1としては文句のない成績ではある。しかし、この後、ヒンギスはグランドスラムタイトルを二度と取ることは出来なかった。

2000年得意の全豪で決勝に進むもダベンポートに敗退、因縁の全仏では準決勝でピアースに敗退、全英・全米は共にSFでビーナスと激突、その才能を遅れて開花させてきた同い年のライバルに共にフルセットの末敗退してしまい、ついにグランドスラム無冠のまま年末を迎える。ただ、グランドスラム以外の大会でポイントを稼ぎ、最終戦のチェース選手権で優勝、GS無冠のままでもNo1を死守した。決勝でセレスを破り優勝を決めたとき思わず泣き出したヒンギス。よほど2000年の成績が不本意で悔しかったのだろう。

去年の悔しさをバネに2001年の初頭、全豪でついにヒンギスは同一大会でウィリアムズ姉妹を連覇するという偉業を成し遂げる。この2試合はヒンギスがその後生涯のベストマッチと自画自賛する素晴しい出来だった。QFの対セリーナ戦はフルセットの死闘、リードされ後2ポイント取られたら敗北というピンチをしのぎ、ファイナルセット8-6で勝利した。フォアハンドが強化され、バックハンド並みにフラットで打てるようになったヒンギスは強い。SFの対ビーナス戦はなんと6-1.6-1の圧勝。さらに反対の山では天敵ダベンポートがSFで敗退。ヒンギスがようやく得意の全豪でグランドスラムタイトルを取ると思われた。しかし、悲劇はまた起きる。ヒンギスのテニスキャリアに終止符を打つのはウィリアムズ姉妹でもなく、ダベンポートでもなく復活してきたかつての天才少女、ジェニファー・カプリアティである。

ファイター・カプリアティの前にストレートで敗退。ウィリアムズを最高の形で下しておきながら、ダベンポート以外の相手に負けるとは。この敗北も大きな挫折となった。続く全仏でもカプにSFで敗退。ウィンブルドンではスペインのルワノ・パスカル相手にまたしても第一シードにして1回戦敗退。USオープンではセリーナにSFで圧倒されグランドスラム無冠が決定、シーズン終盤には怪我でツアーから離れ、ついにNo1からも陥落した。

2002年、全豪オープン、怪我から復帰したヒンギスは再び決勝に勝ち上がってきた。1997年から6年連続の決勝進出である。前日はアンナ・クルニコワとのペアでダブルスを優勝している。得意のサーフェイスで復活を図りたいマルチナにとって舞台は整った。そして彼女の前にカプリアティが再び立ちふさがる。重大な決意を持ってコートに立つヒンギスは苦手のカプリアティに善戦し、第一セットを取り、第二セットも4-0とリード、ほぼタイトルを手中にしたところでカプリアティの神懸り的な粘りがヒンギスを苦しめ始める。ヒンギスはチャンピオンシップポイントを4回手にした。そしてどれも決められなかった。大事なところでフットフォールトを取られ、帽子を深くかぶり失望を必死に隠そうとするヒンギス。あれほど打ちのめされた表情をしたヒンギスを見たことはない。灼熱のセンターコートで極限まで体力を酷使し、最後に勝利したのはカプリアティだった。

彼女を襲った失意と無力感は相当のものがあったに違いない。それでも全豪直後の東レオープンでは気を取り直し、素晴しいテニスを展開し優勝した。さあ、ここから復活だ、と思ったが、この東レの優勝がヒンギスの生涯最後のシングルタイトルとなってしまった。

左足靭帯を断裂し、全仏・全英を欠場、全米で復帰するも4回戦でセレスに敗退、10月に休養宣言をして長期戦線離脱、翌2003年1月全豪欠場だけでなく「復帰は不可能」とマスコミに発表した。22歳にして引退を迎えてしまったのだった。

キャリア後半、ヒンギスの顔からあの天真爛漫なコートでの笑顔が見られなくなってしまっていた。そういう意味ではこの引退は妥当だったかもしれない。しかし、現在のWTAを見渡すとウィリアムズシスターズもベルギーコネクションのエナンとクラシュテルスも、あるいは台頭著しいロシア勢も、どこか悲壮感を漂わしてテニスをしている。ダベンポートはベテランらしく非常に落ち着いており、カプリアティのファイティングスピリッツは勇気を与えてくれるが、二人とも「テニスが楽しい」といった明朗さがない。ヒンギスの初期の頃にはそれがあった。私はそんなマルチナ・ヒンギスが大好きだった。
彼女のキャリアの後半は試練の連続であり、ヒンギスの表情から明るさがなくなっていった。応援しつつも彼女の笑顔が見えないことはつらかった。
ヒンギスのこれからの人生に幸多かれと祈りたい。そして、ヒンギスが持っていた天真爛漫な明朗さを持った新しいヒロインの登場を願わずにはいられない。

 

追記

ヒンギスの記事を書いていると昔のことを色々思い出した。
ヒンギスは当初、ウェア規約をイタリアの老舗、セルジオ・タッキーニと結んでいた。クラッシクで伝統的なタッキーニのウェアはヒンギスによく似合っていた。とくに最後のタッキーニウェアとなった紺と白のワンピースはよく似合っていた。口の悪い人は「牛のホルスタインの模様」とケチをつけていたが、10代後半の少女にはそれがまたかわいく映るのだ。
ところが運命の1999年の全仏で突如ウェアがヨネックスに変わっていた。それ以前よりシューズ契約もタッキーニと結んでいるにもかかわらず他社のシューズをはき、タッキーニとたびたびトラブルを起こしていたヒンギスは、この時点でタッキーニとの契約を解約してしまったのだ。ヨネックスとは全仏前後の間のワンポイント契約で、やがて正式にアディダスと契約する。ヨネックスのウェアもシンプルで如空は好きだったのだが、全仏決勝対グラフ戦をついつい思い出してしまう悲劇のウェアでもある。アディダスはWTAの看板娘アンナ・クルニコワを契約選手に抱えていたが、中々優勝しないクルニコワに加え、事実上のNO1プレーヤーで才色兼備のヒンギスを迎えて、二枚看板でテニスウェアのプロモーションを一気に促進させようとした。

アディダスではヒンギスは興味深いTVCMに何度か出演した。
一つはテニス選手を使ったCMでは最高の出来である「ディスコでダブルス」編。同じアディダス契約プレーヤーのクルニコワ・ギャンビル・サフィンと一緒にディスコでミックスダブルスをするのだが、これが無茶苦茶カッコイイ。近未来を舞台にしたSF映画のワンシーンのようなセット中でヒンギスが他の3人と音楽にあわせてノリノリでミックスダブルスを楽しんでいる。一人で無邪気にかっこよく踊るシーンもいかしていた。
もう一つは「交通整理」編。とあるヨーロッパの小さな田舎町が舞台。狭い路地に車が殺到し、大渋滞で、警官もお手上げである。「そこへヒンギスが現れたんだ」と、交通整理のお巡りさんの等身大写真看板とラケットを抱えてアディダスのウェアを着たヒンギスが現れた。ヒンギスはラケットで打つボールでお巡りさんの看板をクルクル回し、それを信号代わりにして渋滞の車を捌いていく。イライラしていた町の人たちに笑顔が戻っていく。特徴的なヒンギスのバックハンドフォームをみんなで真似する人たち。このときのアディダスがヒンギスに提供したウェアというのは利き腕が長袖、左が半袖という体にフィットしたウェアだった。しかし、アディダスは好きなメーカーなのだが、如空の個人的好みからいえば、ヒンギスに提供されたアディダスはいまいちヒンギスに似合っていなかった。

ところで、タッキーニからアディダスに乗り換えたのはヒンギスらしい「わがまま」な一面が出たのだと当初は報じられたが、後に実はシューズが彼女の足にあっていなかったことが原因だと分かる。キャリアの終盤、足の故障になやまされるが、その原因の一つに、足に合わないシューズで10台の選手時代を過したことがあるとされている。このことはタッキーニに対する訴訟にまで発展している。
このエピソードを知って以来、如空はシューズ専用メーカーの靴しか履かなくなった。ラケットメーカーやアパレルメーカーがついでに作るシューズを避けるようになったのだ。靴は大事だ。第二の心臓とさえいわれる。靴だけは専用メーカーに限る。スポーツで使用するならなおさらだ。日本国内のJOP大会やジュニアの大会を見ればよく判るが、皆ウェアはヨネックスとダンロップが多いのだがシューズだけはそろえたかのようにアシックスが多い。日本人の足型にはアシックスが一番フィットしているそうだ。アディダスとナイキはデザイン・機能共に優れたシューズを出しているが、日本人の足にはやや細くて甲の部分が低い。私の場合は小指にすぐ魚の目が出来てしまう。ちなみに現在私が愛用しているのはディアドラである。



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