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第四房 エースマスター イバニセビッチ (2004/07/22)

2004年は雨のウィンブルドン。完全に試合がなかった日が第一週で2日もあった。これにより伝統的にミドルサンデーは試合をしなかったウィンブルドンも日曜日を試合することになった。ちなみにこれはウィンブルドンの長い歴史の中でわずかに3回目の出来事だそうだ。この雨のおかげでNHK地上波では放送されなかった先日の3回戦ヒューイットVsイバニセビッチを地上波での録画で見ることが出来た。雨に感謝。この試合は奇しくもクロアチアのビックサーバー、ゴラン・イバニセビッチの引退試合となった。

ビックサーブ以外にはこれといった武器を持たないサウスポー、ゴランは過去3回ウィンブルドンの決勝に進みながらそれぞれアガシとサンプラスに優勝を阻まれた。これでもう消えていくだろうと周囲に思われていた2001年ウィンブルドン、彼は再びセミファイナルまで勝ちあがってきた。QFで勝つとシャツを脱ぎ裸でチェアの上に立ちシャツを旗のように振り回す姿は子供のようだった。

彼の前に立ちはだかるのは全英の期待を背負ったティム・ヘンマン。試合当初ビックサーブで押していたイバニセビッチであるが、徐々にリターンのタイミングをつかみ始めたヘンマンは観客の大声援を背に逆襲、逆転する。イライラが募るゴランはダブルフォールトを連発し、ネットを蹴る始末。誰もがこのままゴランは自滅すると思われた所で雨、中断、試合は翌日に持ち越された。
翌日もほとんど雨で試合が消化できず、決着は本来男子シングルスの決勝戦が行われる予定だった日曜日に持ち越される。ほとんどヘンマンに負けかけていたイバニセビッチはこのことで息を吹き返し、日曜日はサービスエースを連発、逆転で3日がかりの長い試合を制した。

イバニセビッチは4度目のウィンブルドン決勝の舞台に立った。月曜日の決勝戦の相手はオーストラリアのパトリック・ラフター。去年も決勝に進んだがサンプラスの前に屈した。準決勝でアガシとフルセットの名勝負を演じてここまで来た。彼もまた負けられない決勝である。
ビックサーブ対サーブ&ボレー・チップ&チャージ、試合は一進一退を繰り返し、またもやフルセットにもつれ込む。ゴランにサーブ・イン・フォー・ザ・チャンピョンシップが来る。しかし、ダブルフォールト。ネットを蹴るゴラン。試合は完全にイバニセビッチが自分自身との戦いに勝つかどうかにかかっているのが分かる。エースを取ればそのエースを取ったボールをボールパーソンに要求、そのボールに「勝たしてくれ」と必死の形相で祈りを込める。何度目かのマッチポイント。そして、ついに勝利をつかんだのはゴランだった。
涙・涙の表彰式、「僕にワイルド・カードを与えてくれてありがとう」というゴラン。彼のランキングではこの大会、本戦に本来ストレートインはできなかったのだ。
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手長猿のように長い手を下にたらし、リストを丸めたまま上に放り投げる独特のトスアップ。そしてそこからのクイックサーブ。同じビッグサーバーでもサンプラスのようなゆったりとしたモーションでサーブするビックサーバーでなく、ロディック同様、イバニセビッチはその肩の強さを最大限生かすべくクイックサーブでエースをねらう。肩幅の広い背中、肩甲骨が左手と共に一瞬で大きくスライドするや、次の瞬間ハエ叩きでボールを潰すようにラケットが振られ、ボールがコートにたたきつけられる。オープンスタンスに厚いグリップ、サーブにおける基本を完全に無視してフラットサーブでエースを取ることに全てをかけた男ゴラン。苦しいとき、頼るべき武器をもっていることがどれほど大事なことかをイバニセビッチは教えてくれる。

記憶に残るドラマを演じたゴラン・イバニセビッチもコートを去る。残りの人生に幸多かれと祈ろう。


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