第二房 フェレーロの足音 (2004/05/26)
スペインのファン・カルロス・フェレーロが世界中の人にその存在を示したのは、2000年の全仏オープン男子シングルス準決勝の対グスタボ・クエルテン戦だろう。
人気・実力共に当時クレーではNo1だったブラジルのクエルテンはこの年、2度目の全仏チャンピオンとなり、年末には長年のサンプラス・アガシ政権を崩して南米選手初の年間No1になる。まさにそのキャリアで最高の状態にあったクエルテンに敢然と立ち向かったのが、当時まだ無名だったフェレーロだった。
第一セット序盤から激しい打ち合いになり、TV解説も興奮気味だった。TV東京の解説担当の松岡修造氏が「横のブースにいるジョン・マッケンローが興奮して大声を出しているのが聞こえる」といっていた。ほとんどの人がクエルテンを見たくて観戦していただろうが、この試合をみてフェレーロに魅せられた人はかなりいたはずだ。私もその一人である。
なんといってもフットワークがいい。細かい「シャカシャカ」という小気味よい独特の足音がTVを通じて聞こえてくる。そして速い。構えたまま上体はまったく動かず下半身だけですべるようにコートを動き回りボールの後ろに入る。一瞬のための後、一気に振り上げるトップスピン。普通なら振り遅れるだろうというようなタイミングだが、スイングスピードが速いのでしっかりと前でボールを捕らえている。肘を軟らかく使っているので腕とラケットがフォロースルーで体に巻きついている。体の軸がまったくぶれない。上半身が下半身からねじ切れてしまうのではないかと思わせるような鋭いスイングだ。あれだけ強打すればラインオーバーしそうなのだがライン寸前で落ちる。あれこそ「トップスピン」と呼ぶにふさわしいストロークだ。しかも高い打点からはフラットで叩いてくる。フォアハンドは私の理想のスイングだ。
クレー育ちの選手でフォアがいいと必要以上に回り込むようになるが、フェレーロはバックもいい。両手打ちの選手はスイングスピードが遅くなるが、フェレーロのバックはフォアハンドと同様スイングスピードが速い。両手打ちバックハンドで「かっこいい」といえるスイングをするのはアガシの他はこのフェレーロだけである。クローズドスタンスで打つことが多いがヘッドを立てたまま走り上半身が捻じ切れるのではないかと思うほど鋭く回転し、ラケットと腕が首に巻きつき、遅れて下半身が回転してスタンスが元に戻る。
あまりムーンボールやバックハンドスライスを使わず、アップテンポな打ち合いで相手を左右に振りオープンコートにウィナーを叩き込むというスタイルもアガシに似ているかもしれない。こういう小気味良いフットワーク、鋭く速いスイング、アップテンポなラリーをする選手が「如空」の好きなタイプだ。短いチャンスボールに対する前への詰めも早い。逆を突くのが上手で、逆クロスと見せかけてクロスに打つフォアがよく決まる。
そして伝家の宝刀ドロップショット。普通、ドロップショットはバックハンドから深いスライスを打つぞと見せかけてストレートに落とすのだが、フェレーロが得意とするドロップショットは回り込みのフォア逆クロスを打つぞと見せかけてフォアハンドスライスでショートクロスに落とす。こんな美しいドロップショットは中々見られるものではない。
試合は第一セットを接戦の末5-7でクエルテンに取られるが、その後第二第三セットはフェレーロが連取。このまま一気にいくかと思われたが、第四セット途中で疲労困憊だったクエルテンが復活、第四第五セットを連取され逆転負けを喫してしまった。
この試合は私が過去に見たクレーコートの試合ではベストマッチだ。両者共に観衆を魅了する素晴しいプレイをした。しかも、フェレーロにとってこの試合はグランドスラム初挑戦の大会だったのである。ショットを打つごとにラケットをクルクルと回し、エースをとってもミスをしても表情ひとつ変えない。とてもグランドスラム初挑戦でクエルテンとセミファイナルを戦っているとは思えない落ち着きだった。
その後トレーニングの甲斐もあってかなり体格も良くなったがこの当時はまだガリガリにやせていて、「モスキート(蚊)」というあだ名がよく似合っていた。似合うといえば翌年からウェアをセルジオ・タッキーニに変更するのだが、この2000年時点ではナイキのウェアを着ていて、開襟シャツ風の白のシャツに黒のハーフパンツが痩せた体によく似合っていた。スイングするたびにシャツの襟がねじれて鎖骨が見えるのがかっこよかった。タッキーニはフェレーロのような痩せ型の体型には似合わない。
その後、フェレーロはクレーではかなりの好成績をあげ、世界のトップランカーに駆け上がったが、ローランギャロスは彼に冷たかった。翌年も準決勝でクエルテンに当る。ヨーロッパのクレーシーズンの大会で彼に辛酸をなめさせられたクエルテンはフェレーロ対策を万全にして臨みストレートでフェレーロを下し、全仏を連覇する。その最大のライバル・クエルテンがいない2001年全仏では準決勝で幼い頃からのライバル・サフィンを下し、誰もがその優勝を疑わなかった決勝に進むが、そこで立ちふさがったのがスペインの先輩コスタ。コスタはその日生涯最高のプレイをした。フェレーロ自身の体調不調もあって、彼の手はトロフィーに届かなかった。
フェレーロがようやく全仏王者の座に着くのは2003年である。決勝でビッグサーバーのフォルケルクを破ったとき。両手の人差指を天に向け仰いだ。10代で死に別れた母親に思いを届けたのだという。(DVDはこちら)
この年、全米オープンでも決勝に進み、ロディックに敗れるものの、一時的にだが世界ランキングNo1になった。
ハードコートでも通用することを証明して、いよいよ年間No1を目指すフェレーロ。
リターンでの構えが左手をラケット面に添えていて、よくあれで両手バックのリターンが間に合うなと思っていたが、決勝に進出した全米オープンでは他の両手打ちバックの選手と同様、グリップに左手を添える形に変えていた。リターンの向上がハードコートでの成績に貢献したのは間違いない。サーブも当初ワイドへのスピンサーブ主体だったが、今ではフラットサーブでエースもねらえる。年々進化しているフェレーロ。しかし、女性ファンの多いこのハンサムガイにマスコミはやや辛口である。いわく「トップ選手の中でフェレーロの試合が一番退屈」だと。私はそうは思わない。耳に心地よい足音を響かせて、素晴しいフットワークでボールを追い、鋭くスイングでボールを打つフェレーロは今まさに最高のストローカーだ。彼のプレイは見入らせられる魅力がある。
戻る