第056房 「サーブの理想と現実」(2006/05/13)
「大人になってからテニスをはじめた人を殺すのに刃物は要らぬ。自身のサーブのフォームを録画して見せてやればいい。理想と現実の違いに打ちのめされることだろう。」
これだけ録画機器が普及して来たにもかかわらず、自分のテニスをビデオなどに録画して自分で見てみると言うことは意外に行われないものだ。如空もテニスを始めた頃はよく友人に録画してもらったり、そういうサービスをしてくれるコートに言ったりして自分のテニスをみて、そのあまりのへたくそぶりに絶望を通り抜けて笑い転げていたものだ。それもこの3年ほどはしなくなった。別に理由があるわけではなく、むしろ積極的に録画を撮る機会がなかっただけなのかもしれない。
年末年始もGWも夏休みも秋の祝日連休もことごとく仕事で潰された如空は、先日2日ばかり平日に代休を取って一年ぶりのゆっくりした時間を過ごした。そのときふと思い立って、自分のサービスのフォームを録画してみようとおもって、コートを取ってひたすらサーブを打ち込む様を録画した。そして録画をみた。
そして震えたのである。
「これは誰だ、この画面の中にいるへたくそは一体誰なんだ・・・・」
数年ぶりに見る自分のサーブのフォームは、確かに数年前よりかははるかに様になってはいる。しかし、全体的にまず固い。トスアップした後の所謂「タメ」の部分が「タメ」になっておらず、力んで固まっているだけだ。そのくせトスアップそのものは妙にあせっていてボールを放り投げている。頭の中のイメージではもう少しゆったりとトスアップして、「ぐっ」とタメを取っているはずが慌ててトスアップしてその後ボールを見て固まっているのだ。固いこと固いこと。
タメの部分でさらにおかしかったのはラケットを握っている右手の肘が全然後ろに引けていないことだった。上半身と下半身の捻りがない。まるでフォアハンドでリターンをするかのように右ひじが前に出てしまって後ろに引けていない。ラケットが頭の後ろから出ずに右肩あたりから出ている。
膝も自分ではタメの時に曲げているつもりが全然曲がっていない。ほとんど棒立ちだ。
なにより不自然だったのはラケットが背中でほとんど落ちておらず、肩の肩甲骨もスライドしておらず、全身がだらっと回転してラケットを振っている。これはサーブと言うよりスマッシュじゃないか。ほとんど手打ちだ。ラケットの重みを上手く遠心力に変化させてラケットを振りあがることが出来ていない。だから腕力でラケットを振り上げているのだ。右腕の回内も内旋も自然に発生しているのではなく腕の力で強引に捻っているだけだ。これでは全然だめじゃないか。
絶望に打ちのめされて、生きていく気力を失い、コートにひれ伏しているところに、たまたま別のレッスンのために別のコートに来ていたシングルスのコーチが通りかかった。暇つぶしに如空が撮影した録画をみて、彼は如空にとどめを刺した。
「まず始めから前足に体重を乗せすぎなんですよ。だから下半身がぐらついて、上体が前に突っ込みがちになりやすい。それを防ごうとして固まってしまっているんです。もう少しスタンスを広く取って、後ろ足のかかとに体重を乗せてからトスアップして御覧なさい。そしてトスを上げてから前足のつま先に体重を移動させていくと、膝も自然に曲がるし、全体的にゆったりとしたトスアップと「タメ」が発生するはずです。前にトスしたボールを腰で追いかけるようなイメージですかね。それでタイミングが取り辛いのであればロディックのようなクイックサーブにしてみるのも一つの手ですけどね。」
「左指を曲げてボールを持っているでしょう。だから最後にボールを振り上げてしまうようなあわただしいトスアップになるんです。左指を伸ばして掌でなく指の腹でボールを支える程度の感覚でボールを持ってください。指が伸びれば肘も伸びます。そうすると腕全体が伸びてゆったりとしたトスアップになると思います。」
「肩と言うより背中に力が入りすぎなんですよ、全体的に。ラケットを担ぐのに上にあげるという意識よりは頭の後ろ、後頭部にラケットを持ってきて、頭の後ろからラケットを振り上げる意識でスイングをすると良いと思います。頭の後ろにラケットを持ってくれば、胸を張って、肩甲骨を背中の背骨方向に寄せなければならなくなりますからね、自然と背中の力が抜けますよ。」
「背中でラケットヘッドを落としてラケットで背中を掻いてからスイングするという過程は、意識してする必要はないと思います。右肘の曲げも直角より深く曲げることはありません。今のままで十分ですよ。それよりラケットを頭の後ろに持ってくるイメージが大事です、そうすれば身体もねじれるし、ラケットも遠心力で振り上げやすくなります。」
「グリップを強く握りすぎなんですよ、多分。だからリストが固まって、手打ちになるんです。上半身を鞭のように使うためにはもっと緩く握らないと。ボレーのような「ヒットの時にボールを捕まえるように握る」のではなく「同じ力のグリップでリストを返すことでボールを叩く」感覚が必要なのだと思います。ラケットの重みや遠心力を腕に感じられるようになると良いです。」
「ラケットを振り上げてリストを返すためには腕を意識してはだめです。肩を回して後ろにずれた肩甲骨を上に引き上げた後、腰から下で回転をブロックしないといけません。フォアハンドのように腰を回してから肩を回すだけではだめです。タメのときに右腰を前に出しておいて身体を捻っておくのですよ。そして捻りを戻して肩を一気に回す。そのとき腰がだらっと肩と同じ方向に回ってはだめです。腕の形がそのままに肘が落ちて前にだらっと出てしまうのです。ジャックナイフのように腰を逆回転させるくらいの意識の方がよいです。そのためには右足で空を蹴るのです。左足は地面を蹴り、右足は空を蹴る。右足のけりが入ると右ひじから先が上に振りあがってラケットが高い位置でリストが自然に返ってくれます。右足の膝が曲がったままの時は腕のスイングもだらっとして、右肘も低く曲がったままである場合が多いです。スイングに鋭さを出すためには、腕の振りより足のけりですよ、ポイントは。回内や内旋は自然に出てきます。」
「如空さん、トスの位置がディースサイドとアドサイドで微妙にずれていますよ。自分で気づいていますか?ディースサイドがやや前気味、アドサイドがやや後ろ気味です。だからディースサイドはネットが、アドサイドはオーバーが多いのです。ディースサイドは少し手前に、アドサイドは少し遠めにトスを上げてください。そうすれば安定するはずです。」
ありがとうコーチ、色々と指摘してくれて。レッスンでもないのに時間を取ってくれて本当にありがとう。なぜ、それを普段のレッスンでもっと早くに教えてくれなかったのですか、などと恩知らずなことはあえて言うまい。コーチのせっかくのアドバイスを生かすべく練習だ。さらにコートを2時間とって黙々とサーブを打ち込む。平日の昼間、がら空きのコートに如空のサーブを打つ音だけが静かに響く。
後ろ足重心のトスアップは試してみると確かにタイミングを取り辛い。長年染み付いた習慣を崩すのは並大抵のことではないな。だからと言ってクイックサーブも上手くいかない。これは気長にフォームを改善していくしかないな。
背中を柔らかく使い、頭の後ろからラケットを振り上げてリストをかえしてボールを打とうとすると、自然と胸が上向きになる。こうすることによって肩が縦に回ってラケットが上に振り上げられる。このとき右足のけりを入れるとさらに効果的であることはコーチのアドバイスとおりである。
トスは確かに右サイドと左サイドでずれていた。意識して位置を修正すると安定した。さすがだなコーチ、こんなことに気づくなんて。
あっというまに時間は過ぎる。二時間もサーブを打ちつづけるとへとへとだ。練習のさなかは気づかないが、終わってコートの外に出て腰をおろすとどっと疲労が押し寄せる。これだけサーブを打つとさすがに肩と背中が柔らかくなり、肩甲骨がスライドするのが自分でもはっきりと感じ取れるようになる。問題はこの状態がすぐに作れないことだ。プロ野球のリリーフピッチャーがブルペンで投球しながら「肩を作る」と言う作業を出番に控えて行うが、あの肩を作ると言う行為は肩をこのような状態にすることなんだんだなきっと。すぐに肩を作れるような工夫が必要だ。試合のときはサーブ4球しか練習できないのだから。
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